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「カーリル」という図書館検索サイトがある。それによって、ほとんど日本全国の、どこの図書館に、どのような本があるか、即座にわかるし、また貸し出しの予約も簡単にできるようになっている。とても便利になったと思う。 カーリル http://calil.jp/ インターネットの普及にする時代になって、たしかに多くの点で実に便利になった。世界中の情報が、世界中の新聞や図書など、もちろん玉石混淆、いかがわしいものから、世界中の古典や名著、珠玉の作品に至るまで、家に居ながらにして閲覧できるようになった。このような情報社会の進展、科学技術の進展こそがもっとも強力な社会変革の条件をなすのだと思う。社会の経済的な基礎的な条件の、マルクス流に言えば「下部構造」の変革に比べれば、特定の個人や思想家、哲学者などの思想は、その社会変革に与えるインパクトも取るに足らない微弱なものでしかないのかもしれない。 一昔も前になるけれども、西尾幹二氏らが「新しい教科書を作る会」等を組織して、いわゆる「自虐史観」の克服を訴えておられた頃、千葉県舟橋市にある公共図書館で、そこに勤務する司書が西尾幹二氏らいわゆる「右派」とされる人たちの著書、図書を一括して廃棄したとして、裁判所に訴えられるという事件があった。 「最高裁(第一小法廷)平成17年07月14日判決」 〔憲法・公共施設・国賠1条-公立図書館司書による特定書籍廃棄と著者の権利/船橋西図書館〕 http://www.hiraoka.rose.ne.jp/C/050714S1.htm 「船橋焚書事件」 http://homepage2.nifty.com/busidoo/Shihou/funnsyo9.htm たしかに公共の図書館というのは、特定の思想、党派、宗教に偏在することなく、機会均等の全面的な情報開示を原則とすべきだろう。たとい個人がどのような思想的立場にあるとしても、憲法によっても思想信条の自由や、宗教、学問の自由が保障されているように、公共の施設のあり方としては、あくまで公平で公正な図書閲覧の機会均等が保障されるべきだと思う。そうしてこそ、歪められることなく真理が顕らかにされる社会が構成されるのだと思う。 このうような図書検索システムが公衆に広く明らかにされ、その使用も公開されることは、そういった点からも、情報公開の原則と市民的な自由と拡大、強化に、さらに役立つことだろうと思う。 閉塞する時代には、進歩的な歴史観というのは概して軽蔑されがちだけれども、科学技術の、とくに情報技術の発展にともなって情報の開示の原則が深まり、さらに普遍的なものとなりつつあることは、その多くの否定的な側面を乗り越えて、明らかに肯定的に評価できるものだと思う。
ミネルバのフクロウ再論
以前に「ミネルバのフクロウ」と題して、哲学の意義について論じたことがある。そこで「ミネルバのフクロウ」に象徴される哲学というものは、「(歴史的な)現実が成熟した後に、その現実の中にひそむ実体を、知の王国として、観念の形態で、認識するに過ぎないということを言おうとしているのである。」と述べた。だから、そもそも哲学というのは「安っぽい理想論」を語ることでもなければ、思いつきの空想を述べることでもない。 とはいえ、それだけで哲学の特質を言い尽くしているかというと、もちろんそうではない。ヘーゲル哲学以降の近代哲学についてはとくにそのことが言える。なぜなら、ヘーゲル哲学のもう一つの特質として「必然性の徹底した追求」ということが挙げられるからである。 そして、ヘーゲルが自らの哲学のなかで、この論理必然性を追及してゆくことによって、従来のように単なる「愛智」(フィロソフィー)という立場に哲学がとどまるのではなく、「科学としての哲学」の立場を確立することになったのである。もちろん、ヘーゲル哲学の遺産を受け継がない、多くの自称哲学が、いまだ単なる「愛智」の域にとどまっているとしても。 ミネルバのフクロウに譬喩される哲学は、だから「新しい知恵の到来を告げ」るものではないにしても、その必然性の追求と認識によって未来の洞察への道を開くことになる。カントが自らの哲学によって、自由を歴史の目的として認識することによって、その普遍的な法則性を論証することによって、圧政や抑圧の崩壊の必然性を洞察したようにである。かくして歴史を科学的に探求する道も開いたのである。 カントとその弟子ヘーゲルの哲学に共通する特質は何よりも、必然性の追求という「哲学的科学」あるいは「科学的な哲学」としての性格である。それは必然的にさらに、もっとも抽象的にして普遍的な法則性としての「弁証法の論理」の解明に向かうことになる。 現実を科学的に研究するというのは、事物に内在する普遍性・特殊性・個別性を認識することでもある。哲学は、また哲学的な歴史学も、その必然性の洞察によって、もちろん「新しい知恵の到来を告げ」るものではないにしても、将来における未見の事実を予測しうる道を開いたと言える。 たとえば、現在の中華人民共和国政府と日本政府の両者の間に存在する尖閣諸島における領土問題の取り扱いの如何によっては、将来のいずれかの時において両国間における戦争に発展する可能性を、相当の確率で予測しているようにである。 「山本太郎」現象について 池田信夫氏が自身のブログの中で、今になって反原発に生き甲斐を見出すようになっている俳優の山本太郎さんについて、次ぎのようにまとめている。 トリックスターとしての山本太郎 http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51771856.html >>引用はじめ、 「結果を考えないできれいごとを主張する「平和ボケ」は、反原発運動に受け継がれている。山本太郎は、こうした日本の伝統を象徴するトリックスターである。」 <<引用終わり。 確かにそうした観点から「山本太郎現象」を分析できるかもしれないが、私の視点はもう少し異なっている。池田信夫氏とは異なって、私は山本太郎氏については、「戦後民主主義」体制の申し子、というべきかある種の「犠牲者」であると考えている。彼もまた国家と民族にとっての一つの損失である。 一昔前に、多くの有為な青年たちが「オーム真理教」の山師教祖である松本智津夫の詐術に不幸にも惑わされ、彼らの貴重な人生を棒に振ったように、もし山本太郎氏が、まともな国家に育ち、まともな教育を受けてさえいれば、現在のようにトリックスターを演じることもなく、尊敬される立派な男として成長できたであろうに、ということである。惜しむべきことである。ここで池田信夫氏もまた「日本の伝統」を意図的に曲解している。 問題は、現代日本の国家社会体制そのものにあり、その現象の一つとしての教育にこそ根本問題があるのであって、もともと虐められっ子であった自虐史観の創始者としての丸山政男の「日本の伝統」観でもって、山本太郎氏を断罪しても問題の根本的な解決にはならない。
山岸の正月
AUCH ICH IN ARKADIEN 十 参観が終わると、楽園村会場の風呂に入り、その後牛しゃぶ料理を皆で楽しんだ。この時私たちのテーブルで給仕してくれたのは、神戸から来ていた陽気な看護婦さんだった。 食後ふたたび研鑽会があった。この夜は、今後の我々の取り組みがテーマになった。資料には楽園村に参加した子供たちの作文と、その父親からの手紙がコピーして渡され、それを材料に「無償の行為」についての研鑽が進められた。三十名近い、社会経験も豊かな大人たちが集団で思考し、研鑽する。 十一 三日目の朝は軽い作業があった。作業着のうえにヤッケをまとい、長靴を履き、それぞれが、豚舎の建設、養牛部、養部に分かれた。私は希望通り養牛部に行った。作業は牛糞出しと、砂入れである。近くで見る牛は図体が大きいが柔和な眼をしている。この牛舎には千頭からの牛たちがいて壮観である。 牛の肛門から滝のように流れ落ちる尿と糞には驚かされるが、臭気は、肛門を出るとき少し臭うだけで、後は下水のドブ浚いの感覚と変わらない。ただ、牛の寝床に砂を入れていく作業は体力がいる。かっては木材のチップを使っていたが、乳房炎を起こしやすいとかで、今は砂を敷き詰めているそうだ。高等部の生徒も糞尿出し作業を手伝っていた。 十二 朝の六時から始まった作業が終わると、借りていたヤッケと長靴を返して、生活着に着替えて、ふたたび豊里温泉で汗を流した。宿舎に戻ると「お母さん」たちの書き初めも廊下に張り出されてあった。あの人は、女性らしい柔らかな筆跡で「やっぱり仲良し」と書いていた。 研鑽会の感想文に、古き良き日本の正月を味わって充実した三日間だったと私は書いた。最後の食事を終えると、AB両班がふたたび合同して、出発研鑽会があった。今まで主婦や子供たちの多かったヤマギシの会活動も、社会化運動に向けて、いよいよお父さんの出番であると、地域に帰ってネットワーク作りに尽くすことなどを確認しあった。一同揃って記念写真を撮った。皆いい笑顔を見せていた。 十三 徳島から来ていたH氏と、津の駅まで同行するはずだったが、津駅行きのバスがあるということで、氏はそれで行くことになった。大阪から来ていた男性とは握手をして別れた。そこで皆と別れてひとり駐車場まで車を取りに歩いた。 途中の広場に、モスグリーンのスーツに着換えたあの人が、仲閒たちと一緒に立って談笑していた。自動車に乗って村を出る際、ふたたび広場を横切ることになったが、その時あの人は確かに自分の方に向かって強く手を振った。 あの人はこの三日の間、食事の時も一度も私の座ったテーブルに来ることはなかったし、視線すら合うことはなかった。しかし、もし私の名を聞き知っていたとすれば決して見逃すはずはない。ちょうど私が食堂であの人がいつも気にかかったように。バックミラーの中に、強く手を振って見送るあの人の姿を眺めながら、一路帰途に就いた。 (一九八九・一・四)
山岸の正月
AUCH ICH IN ARKADIEN 七 再び豊里の村に帰り着くと、「書き初め」と「初釜」の会場が用意されていた。白い紙に真新しい立派な筆と、硯に墨が添えられていて、「至れり尽くせり」であった。皆が心に描いたこの一年のテーマを、大きな長い紙にそれぞれ書いた。 男らしく、ただ「やる」と書いただけの者、「日々研鑽」「軽く出す」とか「一歩前進」、「父として男として」とか百人百様に書いた。私は何を書こうかと思ったが、巳代蔵さんの文章の一節から「光彩輝く将来」と書いた。 この書き初めは後になって廊下にすべて張り出された。 次いでお茶会があった。だが、この初釜は堅苦しいものではなく、控え室で正月らしく着飾った婦人たちから、作法について簡単に教わってから、席に出た。 色鮮やかな和服をそれぞれに着飾った高等部の学生の村の娘たちから、手作りの和菓子と抹茶で心からのもてなしを受けた。彼女たちの作法の上手下手を見る眼はなくとも、正月の引き締まった心を味わうには、この茶室と静々とした作法の雰囲気だけで十分である。 再び豊里の村に帰り着くと、「書き初め」と「初釜」の会場が用意されていた。白い紙に真新しい立派な筆と、硯に墨が添えられていて、「至れり尽くせり」であった。皆が心に描いたこの一年のテーマを、大きな長い紙にそれぞれ書いた。 八 二日目の第二食で、はじめてお節料理と雑煮が出た。いつしか気取られぬように彼女の姿を眼で追っている自分に気づいた。二日目の圧巻はやはり相撲大会である。養鶏部、出版部、流通センター、蔬菜部、養牛部、肉鶏部などの各部門から、一部屋七名、また我々「お父さん研」から二部屋十四名の総計八十名近くの男が参加した。 行司も審判役も本格的な装束で、にわか力士たちを囲む。肌の白い西洋人も二人参加していた。子どもたちも、村の娘も、老蘇さんも皆こぞって、男たちの力闘に声援を送る。力士たちも持てる気力を振り絞って闘う。激しい闘志のぶつかり合いなので、胸や膝に擦り傷などはしょっちゅうである。顔面を強く打って脳震盪を起こし、鼻血を出す者もいた。時間のせいもあったのか、上位三部屋を出しただけで、優勝部屋を決めなかった。我々「お父さん研」の力士たちもよく闘った。 九 相撲が終わると、我々のメンバーは三つのコースに分かれた。宿舎に戻って自由に寛ぐ者、鶏舎入って卵を集める者、村の中を参観して回る者である。私は村をもう一度見たいと思った。村の中を歩いてゆっくりまわった。我々を案内してくれた人は、まだ参画して間もないのではないかと思った。 高等部の寮舎が完成まじかである。隣には立派な体育館兼講堂が建設中である。道路の向こうの山の上には健康特講の会場が建設中である。村全体が槌音高く建設途上にあることを感じさせる。 余儀なく畑を崩して作った駐車場には、ヤマギシのマークの入った真新しい観光バスが幾台も並んでいる。学生のための学育菜園には菊菜が植えられ、馥郁園では老蘇さんらの作った薔薇や菊、盆栽などが並んでいる。発酵した堆肥を実際に手にとって眺め、匂いを嗅いだ。 馥郁園の右手には「太陽の家」があり、そこでは子供たちが遊んでいた。小高い丘の上に立っている、太陽の家に通じる門には、「子放れの門」と「宇宙ステーション」の二つの大きな分厚い表札が掲げられ、ここでは親は子放れの練習をし、子供たちは無重力圏へと駆け出してゆくのだという。村人の衣服を洗濯し管理する黎明館、結婚式のある豊里会館、飼料センター、精乳部など、工場や倉庫などを抱えながら、ここに七百名ほどの村人が暮らしている。
山岸の正月2
AUCH ICH IN ARKADIEN 四 日のまだ明るい内に、お風呂に入り、心身ともに寛いだ後に、用意されていたのは、広く明るい豊里食堂での食事であった。ヤマギシでは食事の前には必ずメニューの紹介がなされ、そこで材料の由来や、料理をした人の「思い」が紹介される。 第一日目のメニューは豚肉の生姜焼きであった。メニューの紹介に次いで、この研鑽会に裏方として参加した「お母さん」の紹介があった。以前にある女性を紹介されたことがある。この時ふと、、この「お母さん」の中に、彼女が来ているではないかと思った。記憶に残っていた名前をその中に探すと、偶然に二人いたが、左側のカーテンの前で、ほほえみを浮かべて立っている女性が、その人ではないかと思った。 この研鑽会に参加した「お父さん」は、実顕地のメンバーを含めて、六十八名である。それに食事の世話や朝晩の布団の上げ下ろし、部屋の清掃など生活スタッフとして加わった主婦や女性のボランティアは、二十二名であり、総勢九十名ほどでこの研鑽会をつくりあげていった。これだけの多人数が明るい食堂に一堂に会して、ユーモラスな話に笑いとよめきながら、老いも若きも食事を共にするのは愉快なものである。 裏方に徹した「お母さん」のテーマは、「至れり尽くせり」だと言った。ヤマギシでは何か仕事をする時、必ずと言っていいほど、テーマを研鑽して掲げる。岡山から来ていた主婦は、個人的には「何でも、ハイでやります」というテーマに取り組んでいたが、彼女は後で、ある「お父さん」から、「背中を流してくれ」と冷やかされて困ることになる。 広い食堂の、カーテンで仕切られた向こう側では、子供たちや学生たちが大勢賑やかに食事をしていた。私たちの囲んだテーブルには、二人の女性がそれぞれ受け持って、親切に給仕してくれた。この時ばかりは「お父さん」は箸の上げ下ろし以外何もすることはなく、陽気で美しい「お母さん」の給仕で、心身共に腹一杯にしてもらって見送られ、出発研鑽会の会場になっている、学育鶏舎にある鶏鳴館へと向かった。 五 部屋の壁に、テーマとサブテーマが大きく書かれて掲げられてある。ここで全員がこの研鑽会に参加した動機を述べた。それはもちろん人様ざまであったが、なかには「お父さん預かり」とか冗談めかして言う者もいた。しかし、概して参加者は、父親として男としてあらためてこの機会に生き方を考え直そうとしていたようである。ある人は、妻や子ども達がヤマギシに熱心なので、ヤマギシのことを知るために渋々参加した「お父さん」もいた。 それから参加者はA班とB班とに振り分けられて、明日の相撲大会のために早速準備研に取り組んだ。出場力士を選び、その四股名を決めるのに、各人の特徴や出身地などから案を出してゆくのだが、髪の毛が薄く、歳より老けて見られる「お父さん」は、「年寄り若」、酒好きな「お父さん」は、「千鳥足」、本職が獣医で風采の立派な青年は文字通り「獣威」、富士山麓で蕎麦屋を営む「お父さん」は「富士之側」などユーモラスな四股名が考え出され研鑽されていった。この過程でいっそうに和気藹々となり、大人の「仲良し」が深まってゆく。B班部屋は「二十一世紀を創る部屋」と名付けられ、部屋の幟も描かれた。 六 この新春「お父さん研鑽会」は実に良く仕組まれていて、会運営も事前に深く研鑽されていたことを伺わせる。行事は日程表に沿ってきっちりと実行されていった。二日目の朝は五時起床である。大安農場から日の出を見るためである。宿舎の前に集合したときには、まだ外は真っ暗で、空には月が弦を描いて輝いていた。寒いけれど、マフラーを巻きジャンバーの下に十分に厚着をしてきたので、むしろ、これくらいの冷え込みは心地よい。 まだ新しい立派な観光バスが、広場に待っていた我々を迎えに来た。大安農場まで一時半の行程である。私はバスのなかで、昨夜の浅かった眠りを癒した。 大型バスは頂上までは登ることができず、我々は麓から白い息を吐きながら歩いて上った。その頃になってようやく白々と夜が明け始めた。頬を刺す、清々しい朝の大気を吸いながら、大安の梨農園に着いた時、そこでは焚き火の火を起こしながら、北原さんが待っていた。パチパチと燃えさかる火を囲むみんなに、彼は十一年前の正月を感慨深げに思い出すように、この地に入植した当時のことを語った。 付近の村人に不審の眼で見られ反対に遭いながらも、「全人幸福思う者に行き詰まりなし」と言って、雑木林を切り開き、今日に至る大安農場を切り開いていったことなど。 東の空がますます明るみを増して、はるか彼方にうっすらと浮かぶ水平線の向こうに、小さな太陽が揺れるようにしてその顔を現したとき、みんなから歓声がわき上がった。太陽は見る見る内にその全容を見せたが、そこに宇宙の構造を実感すると共に、その神秘に打たれた。日の這い上る早さに時の移ろいを思う。新しい春の日の出を見終わってから、食堂に戻って暖かい昆布茶を飲み、皆で歌を合唱した。 山岸の正月 AUCH ICH IN ARKADIEN 一 ヤマギシズム京都供給所の林さんに誘われて、豊里の村で行われる、新春の「お父さん研鑽会」に参加した。名神高速道路の京都南インターチェンジから、栗東まで行き、そこから国道一号線に乗って関まで、そして、ヤマギシズム生活豊里実顕地のある高野尾町へと出た。途中少し道に迷いはしたが、まず順調な旅であった。 滋賀の県境で、小雨が降り出したが、すぐに止み、鈴鹿峠を越えて、伊勢の平野に入ったときにはすっかり晴れて正月らしい青空が広がった。日の丸の掲げられた、町立小学校の校舎の脇を右に折れて小道にはいると、低い冬枯れの木立の向こうにヤマギシの鶏舎特有の青いトタン屋根が見え隠れしていた。 二 駐車場に車を入れ、誘導板に従って歩いてゆくと、道路の辻々に案内人が立っていた。正月にヤマギシの村では様々の催しがあり、子供から老人に至るまで、この村に集ってくる。 左手に壬生菜の植わった畑を眺めながら、坂を降りきったとき、いかにも百姓らしい風采をした男が立っていたが、近寄ってみると、昨秋、村に参画したばかりのK氏であった。「よくいらっしゃいました」と言って、彼は固い握手で、私を迎えてくれた。彼は厚い防寒着に帽子を被り、その上に風よけの手ぬぐいを巻いていたので、近づくまで気がつかなかった。 彼が、支部の仲間の会員に送り出された研鑽会で、参画に至るまでの迷いや心境を語っていた時も、私は平凡な感想しか述べることしかできなかった。彼が京都大学を卒業後、建築会社で長くサラリーマン生活を過ごしていたが、東京への転勤の辞令があったのをきっかけに、村に入った。「何も今でなくとも」など上司などから慰留もされたそうである。 今こうして、穏やかな笑みを浮かべ、村を訪れた人を案内すべく、辻に立ちながら、村の正月を過ごしている。建設部で働いているそうである。むろん、これからも試練は避けられないにしても、彼もまた良い決断をしたのだと思った。 立ち話もそこそこに、私はK氏の指さした受付まで行った。木造の校舎のような建物の二階で、そこで財布や免許証、車の鍵などの貴重品を預け、それから私に割り当てられた部屋へ行った。私と合部屋になる六人の名前が、紙に書かれて入口に貼ってある。 すでに到着していた人は、一階のロビーで皆と雑談しながらくつろいでいる風であったが、私は昨夜の寝不足を補うために少し横になった。しかし、半時間ほどの浅い眠りのなかに過ごしてから、夕日の差し込み始めた窓際に寄って、外の景色を眺めた。 何も植わっていない、掘り返された冬の畑の向こうは、伊勢自動車道の土手に遮られており、さらにはるか彼方の伊賀の山々の向こうに夕日は沈もうとしていた。遠くの畦道を、晴れ着に着飾った和服の女性が、裾を風に翻しながらひとり渡って行く。空には名も知らぬ鳥が二羽、西の空に悠々と飛び去ってゆく。 三 宿舎の端にあった二一五号室で、参加者全員が集まって、オリエンテーションが開かれた。その中で、今回の「新春お父さん研鑽会」のメインテーマとして、「二十一世紀を創る」という標語が明らかにされ、サブテーマとして「光彩輝く将来を画策、施行し・・・」という青本の一節が掲げられた。そして、正月の三日間の日程表が参加者に配られ、研鑽会のスケジュールが紹介された。それが終わると、まだ新しい「豊里温泉」に案内された。 この浴場の外観は、瓦葺きのどっしりした日本建築になっているが、入口はガラス張りで自動ドアである。風呂場には大理石がふんだんに使われている。男風呂はグレーに、女風呂は淡いピンク色で統一されているという。大きな一枚ガラスの向こうに、枯山水の小さな庭を眺め、暖簾をくぐって風呂に入る。
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先の正論の小堀桂一郎氏の論考に続く正当な見解だと思う。>> <<【正論】高崎経済大学教授・八木秀次 女性宮家創設は荊の道の始まり - MSN産経ニュース http://t.co/537aCosR>> <<参考「至高の国家形態」http://t.co/egpZCHNE 【正論】東京大学名誉教授・小堀桂一郎 皇室の御安泰を真剣に考へる秋 - MSN産経ニュース http://sankei.jp.msn.com/life/news/111123/imp11112302580000-n1.htm 小堀桂一郎氏が「皇室の御安泰を真剣に考へる秋」と題して、現在の皇室問題を論じておられる。その核心にある問題点を指摘した結論としてもっとも正しい見解と立場を示していると思う。かっての「有識者会議」なるものは、むしろ「凡識者会議」とも名付けた方がよかったのかどうかわからないが、その座長を務めた吉川 弘之氏などに果たしてこうした問題に発言する資格があるかどうかが問われなければならない。もちろんロボット工学者だから歴史問題について発言する資格はないとまでは言わないが、国家の根幹に関わる問題についての決定に参画する資格が、果たして「有識者」と呼ばれる人たちに本当にあるのかどうかについては、会議を組織する以前に真剣に検討される必要があるだろう。 皇室典範に関する有識者会議 http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/ このような問題は「民主主義」の原理である「多数決による決着」などとはまったくなじまないテーマであることだけは確認されておく必要がある。「真理」についての判断は、ただ認識の質のみが、哲学の高低、論証の正否のみが問題にされなければならない。 その核心は、日本の皇室の「系譜の論理」を確認し、それを過去と同様に未来永劫において踏襲してゆくことにある。それは「国家の論理」から導かれるものであって、この問題に関しては、小堀氏が述べられているように、イギリスなどの外国の影響を考える必要は全くない。日本国に固有の論理に従って判断すべきことだからだ。
日本に原爆は必要か?
武田邦彦教授がご自身のブログで「日本に原爆は必要か?」と問うておられる。そして、ご自身の論考によれば武田教授は「①原発廃止に賛成であるゆえに②核武装に反対」と結論されておられるようだ。 ■日本に原爆は必要か? http://takedanet.com/2011/11/post_0158.html 武田邦彦教授の働きについては、今年の三月十一日の東北大地震と大津波による福島第一原子力発電所事故以来の東北地方の放射能汚染に対して、良心的なその警告と啓蒙活動に対して一定の評価もし、このブログでもリンクさせていただいたりしていた。 しかし、放射能汚染とはまた異なった日本の原子力発電に関する政策問題や核武装といった軍事問題に対する武田教授のこれらの結論に本当に問題はないのだろうか。 武田氏はご自身の論考のなかで、「原子力発電」と「核武装」を論理的に直結させておられるようであるが、これは必ずしも正しくないのではないか。というのは、西尾幹二氏などがブログなどで主張されているように、「脱原発には賛成であるが、核武装は必要である」という立場もあるからである。その一方に今の武田邦彦氏のように「脱原発と同時に核武装にも反対」という「平和主義的脱原発」という立場もある。 いわゆる「右派」に属すると思われている西尾幹二氏らの認識によれば、現実はむしろ日本は「原子力発電」ゆえに核武装ができないでいるのである。 WiLL8月号「平和主義ではない脱原発」(六) http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1098 原発と核武装は論理的に必ずしも直結するものではない。国内に必ずしも原子力発電所がなくても、強固な意志さえあれば、インドやパキスタン、イスラエル、さらには北朝鮮からだって核兵器を輸入することは論理的には可能であり、それによって核武装はできる。もちろん、原子力発電とは無関係に、核武装のためだけに原子力核科学技術を開発育成することもできる。 だから、「日本は原爆を持たなければならないから、原発は必要」と考えているいわゆる右派を、原発不要派に転向させるための論理として、武田氏が「1、地震国日本は原発に耐えられないから、脱原発に進むべきだ。2、「日本兵ほど世界で強い兵士はいない」から「日本に核武装は要らない」という持論を保持しているのであれば、問題は大きい。 その理由の一つとして、第二次世界大戦で日本のヒロシマとナガサキに原爆が投下されたのは、当時の日本にはまだ原子爆弾を開発出来ておらず、アメリカに対して核報復攻撃を行う能力がなかったからであると考えられること。 それに、もし武田氏が「日本兵ほど世界で強い兵士はいない」から「日本に核武装は要らない」と考えておられるとすれば、本当にそうであるなら、諸外国の核兵器に向かって、戦前の武士道日本軍のお得意の万歳突撃をさせてみればいい。そうすれば、現実によって「日本兵ほど世界で強い兵士はいない」が本当かどうかが教えられるだろう。 私の立場は基本的には櫻井よしこ氏のそれとほぼ同じである。ついでにいえば、最近に問題になっている、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)参加問題についてもそうである。 国家基本問題研究所(国基研・JINF) http://jinf.jp/ またさらに、私自身としては、「1、自衛隊と防衛省をそれぞれ新日本国軍と国防省に発展改組すること。2、核弾頭を搭載した原子力潜水艦を15隻を、日本全国の秘密基地に配備、常時巡回させること」それ以外に日本の自由と独立を現実に担保する方法はないと考えている。 参考 10月21日(金)のつぶやき http://blog.goo.ne.jp/askys/d/20111022
08:31 from goo
今月初め頃に投稿しようと思っていて、下書きのまま完成させていなかった記事。 #goo_askys http://t.co/USYl9puV 08:58 from web この月初め頃に下書きだけ書いて放置していた記事に少し修正を加えて投稿した。やはり中心的な課題は国家の概念を現実のものとすることだ。明確な国家概念をもった国民は誰もいない。 夕暮れのフクロウhttp://t.co/sehqiKaj 作雨作晴http://t.co/glJ0LOZF 10:09 from Tweet Button この証言で、中国人船長の釈放で菅直人、仙谷由人氏らが嘘をついていたことが明らかになった。そのことは多くの国民がすでに予想していた通りであるが。【尖閣事件】中国人船長釈放「菅・仙谷氏が政治判断」 松本前参与が証言 - MSN産経ニュース http://t.co/DQIUUwRy 10:10 from Tweet Button しかし、問題の根元は日本の政治家がなぜそんな嘘をついてまで釈放しなければならなかったかということである。その背景にある真実こそが問題だ。【尖閣事件】中国人船長釈放「菅・仙谷氏が政治判断」 松本前参与が証言 - MSN産経ニュース http://t.co/DQIUUwRy 13:40 from goo 畑の上を舞うツバメ #goo_aowls http://t.co/pUfNvPr9 13:43 from goo 今月初めに下書きのまま放置していた日記記事。少し修正して投稿。哲学的な論考として参考になるかも。 #goo_aowls http://t.co/pUfNvPr9 by soratine on Twitter ![]() 再び天上の花 山畑に行く途中、小学校の横を通りすぎた。秋の運動会に備えてのことか、民謡の花笠音頭をバックミュージックに、ちょうど児童たちが校庭で演舞の練習中だった。金網越しに子供たちのユーモラスな踊りぶりをしばらく眺めていた。 よく晴れていて美しい季節の昼前の一時で、時間に余裕があったので自転車で行く。 山に畑を作り始めて、もっとも不自由に感じることは、限られた時間の中で、気ままに方々を自転車で散策する時間が削られてしまうことだ。 前回来たときもすでに山辺には彼岸花のいくつかの咲きかけているのを見つけていたが、今日はさらに黄色く色づいた稲畑の畦のあちこちに、曼珠沙華が花の盛りを迎えたように咲いている。この秋になってはじめてコスモスの花の群生も見る。暑かった夏も過ぎ去り、もう秋が訪れに来る。 ![]() 曼珠沙華も毎年に約束を違えずに咲き迎えてくれる。確かに彼女らは人間を目的として咲いているのだ。同じ自然界の存在として、お互いにけして無縁ではない。とはいえ彼女らは一秋半月足らずの寿命だが、人間は生きているかぎりそのあでやかな姿を眺められる。昨年の秋はさほど印象に残っていない。秋の稲刈りを背景にはっきりとこの花の存在を自覚し、曼珠沙華という花の名のもともとの意味を知ったのは、もう五年も前になる。 山の中では、イチジクの木がサルどもの悪戯にあって、大切な枝を何本か折られていた。自然界の中にあって、植物と動物の共生はどうなっているのだろうか。サルくらいの高等動物になると、すでに人間のように、遊びや悪戯をしはじめていることがわかる。むろん人間もサルもその肉体的生存は自然との物質的な代謝なくしてありえない。 山を散策していると、苔の上に熟し柿が一つ落ちているのに気づいた。ほとんど傷もなく、手にとって皮を剥いてみると、熟したゼリー状の実が現れる。口に入れると甘い。見上げると幹の古い柿の木があって、手で触れると凹みそうなくらいに熟した柿が、ちょうど手の届くところの枝にぶら下がっていた。幸運を思いながら、もいで口に入れる。一昨年にようやく根付いた「私」の柿も、サルやシカの牙を免れて無事に実をつけるようになるのに、果たしてあと何年かかることだろう。 さわやかな気候だったので、スコップを一本もって、市街地を見晴るかすことのできる所まで上る。お気に入りのいつもの場所だ。そこからの眺望を写真と動画に収めておく。今年は暇もなくイチジクの実はあきらめて、サルどもにほとんど呉れてやった。来年はもう少ししっかりと対策を施すつもりだ。 ![]() 畑の上を舞うツバメ――夏の終わりに思う 長く居座った激しい豪雨で各地に被害をもたらした台風が去っていった。翌日の今日、久しぶりに空に青空が広がった。台風一過とともに夏の終わりを感じる。 田圃はまだ青いが、すでに稲穂は立っている。畑では、南の国に帰る準備をしているのか、ツバメが低い空に円を幾度も描いている。手に取ることさえできそうな高さに繰り返し自分の頭上を巡り来るツバメたちは、まるで別れの挨拶を交わしているようにも感じる。 こうしたツバメの営みにも暑かった夏も今過ぎ去ろうとしているのがわかる。 久しぶりにすがすがしい青空と青い田圃を見ながら、自然を感じる一瞬がある。「自然」は言うまでもなく、哲学においても根本的に重要な基本的な概念である。自然は精神の前提であり、その発展の帰結が人間の意識である。しかし、自然においてはまだ「概念」は内面的なものに過ぎない。(§247) 途中に第二外環工事の現場に出会う。まぎれもなく、この環状道路工事は大原野の歴史的な景観地区を破壊している。国土交通省、京都府当局の一連の行政にわが国の民主主義の愚劣と水準を思う。いまだ行政当局の歴史認識や環境意識には経済的利得優先の論理が貫かれていて、それを克服できるまでに至っていない。 道路をどうしても必要なら、どうして核シェルターと雇用対策を兼ねた地下トンネルを掘らないのか。日本版二十一世紀ニューディールとして雇用対策、経済活性化にもなる。大胆な発想と行動力を持ち合わせた政治家が出てこない日本政治の永年の「貧困」と人材の枯渇。その帰結として失われた二十年はさらに三十年に、さらには亡国へと至ろうとしている。現在の民主党政治もまた自民党政治と同様に「戦後民主主義」世代の哀れむべき能力の実態を明らかにしている。 ![]() 先月の西尾幹二氏のブログにWiLL8月号「平和主義ではない脱原発」の論文の掲載があった。雑誌で論文を読むことができなったので貴重な機会だった。 西尾氏がそこでえぐり出そうとしていることは、原子力発電の原料となるウランを諸外国から手に入れるために、日本がどれほどの桎梏と制約を、とくに欧米各国の資源メジャーから受けているかということである。それくらいなら、むしろインドやイスラエルとの闇取引で、核ミサイルを直接手に入れた方が、どれほど確実に、安価と安全に日本の自由と独立と環境に貢献することになるかもしれない。 原子力発電のためのウラン原料を手に入れるために、日本がこれほどの屈辱的な条件を呑み込まされていることも、西尾氏の論文ではじめて知った。これでは現代の日米安保条約下の日本国民に幕末の不平等条約を笑う資格はない。 すでに信用を無くした原発で、技術者も減少しているという。今度の津波による福島第一発電所の事故でさらに輪をかけてそうした事態が進むだろう。西尾幹二氏の論考を読むかぎりでは、氏の主張にも一理はあると思う。ただ、その議論の前提が正しいかどうか、さらに調査し確認する必要はあるだろう。 いずれにせよ、国防のための核技術は、東電や原子力委員会などの俗人世人や官僚オタクに曖昧に任せるのではなく、むしろ自衛隊の――これも一刻も早く憲法改正とともに国防軍に改組すべきだが――軍人たちに法的根拠を与えて、彼らにしっかりと責任をもって担当させた方がいい。 八月が去って「戦争の季節」も終わる。あれだけの大戦争だったから、その古傷はやはり深く今なお癒しがたいのか、あるいは、それ正しく克服できないのも民族の資質か。 在任中菅首相は千鳥が淵には参ったが靖国神社には行かなかった。それも伸子夫人の差し金か。野田新首相も靖国神社に行かないと言明している。自由な独立した主権国家の指導者として、それは果たして正しい選択だったろうか。 要するに、戦後民主主義の申し子としての市民運動家菅直人氏や民主党の指導者たちは、いまだ先の太平洋戦争を完全に相対化できてはいないのだ。戦勝国のアメリカが、敵国である大日本帝国軍隊の権威を失墜させるために、どれだけの「策謀」を巡らすものであるかは反省されも自覚もされていない。軍事力のみならず情報戦においても完膚無きまでに旧敵国アメリカに敗北したままだ。そのために日本は主体的に民主化すべきなのに、それができないのである。 たとえ凡才であろうとなかろうと、国民が自ら選んだ自分たちの首相を、あれほど口汚く罵るのは、国民自らの愚かさと品位のなさを証明するようなものだ。能力がなければ交替させればいいだけの話なのに。菅首相の引きずり降ろしは、現代日本の政治家連中と国民の無情と非見識と明らかにしただけだった。 NHK・BSでも、先月は終戦記念として五味川純平原作の「人間の条件」なども全編放映されていた。たまたま見たが、社会主義者監督の視点から、旧日本軍の悪弊と社会主義的人間の「個人主義」とエゴ「平和主義」の夢想があくどく強調されていた。 アメリカ合衆国軍と比較しても、確かに旧日本帝国軍隊に陰惨と抑圧の性格のあったことは事実だろう。それは正しく総括されなければならない。しかし、マルクス主義の国家観と同じく、その否定的な部分的な現象だけをもって、旧帝国軍隊の本質を、あるいは国家の概念そのものさえも否定しさろうとするのは誤りである。現代日本国民はいまだこの認識の延長線上にある。この映画もやはりアメリカによる「戦後民主主義」の視点から制作されている。 チュニジアのジャスミン革命に端を発した中東イスラム諸国では政変も今なお著しい。リビアのカダフィ大佐の命運も尽きたかのようだ。ただ、イスラム諸国の民衆がなぜアメリカを憎むのか、正しく客観的に認識しておくことは、今日の中東の政治状況を知る上での必須の前提ではある。戦前の日本もまた、そこに自らの能力を過信する愚かさが加わったとしても、アメリカの傲慢と抑圧を憎み反抗し戦ったのである。 ![]() 梅雨が明ける 昨日の十日、日曜日は午前中から山の畑に行く。この日の作業は、草刈り。そして、冷や麦のご相伴に与り、弁当を食べた後、無花果、柿、桃と見て回る。枇杷の木は、前々回に茎が根腐れを起こしているのを見て、その成長を断念したばかり。美しい萌黄色の若葉をつけていたので期待していたのだが、野鹿に二度も新芽を喰われて、それ以来成長を止めた。そしてこの春、枇杷の木の死を確認したばかり。この秋には、新しい苗木で再び挑戦するつもり。 今の柿の木も三本目の苗木でようやく根付いたばかり。虫食いもない美しい若葉をつけていたのに、春の終わり頃に、これもすっかり野鹿に喰われてしまった。今日あらためて見ると、再生の双葉があちこちに見られた。 全てを独占しているような、たった一人の山で、濡れたシャツと肌着を脱いで上半身、裸になる。ほとんど純白に近い肌をまだ強い昼下がりの陽光にさらす。鳥のさえずりを聞きながら、わずかな木陰を探して腰を下ろす。 無花果は、猿や鹿に枝を割かれたり折られてしまって、まともな樹形も損なわれていたにもかかわらず、何とか今のところはよく成長している。垂れた枝枝に添え木などしてやると、その下に何とか涼しげな樹陰らしきものができる。大きく育った無花果の樹陰で、夏の甘い午睡に浸るのが夢だ。 どうやら梅雨明けの宣言があったらしい。見上げる空も、夏に近い。青空を見ながら、今もなお苦難の日々を耐えている東北の人たちのことを思う。冷却設備が地震と津波で破壊され、海からのヘドロと腐った冷凍魚などから、ハエも湧き衛生環境も劣悪だという。自分にできることは何もない。ヨブの忍耐をもって耐え抜かれ、夏を乗り切られんことを、ただ祈ることができるばかり。 武田邦彦教授のブログによれば、 「(福島原発)事故直後は、北海道産の牛乳は北海道産でしたが、今では、福島、茨城、千葉の牛乳は大量に西日本に送り、そこで、「汚染された牛乳」と「綺麗な牛乳」をまぜて、ベクレルを規制値以内に納めていることも分かってきました」そうだ。それが本当なら、生産者、商業者たちの地に墜ちたモラル。気の毒な日本国民。生産者、商人にも生活がある? 「誠実な社会を取り戻したい・・・牛乳と柏市の放射線」http://takedanet.com/2011/07/post_088c.html また、玄海原子力発電所(佐賀県玄海町)2、3号機の運転再開を巡る国の公開説明会で、九州電力による組織ぐるみの「やらせメール」事件が発覚したばかり。東電も九電も、その上にあぐらをかくばかりの地域独占大企業だが、図体はでかいが、ネズミほどのモラルもない。 電力会社は電力不足と節電を訴えるが、肝心の火力発電や原子力発電、水力発電などの実体の正確な情報開示もない。またもや騙されているかと国民の疑念が募るばかり。 官僚の電力会社への天下りが、行政の公正を歪めているのに、どの政党にも、この不正を糺す力がない。また、電力会社からの巨額の政治献金を受け取る政治家たちに、公正な電力行政を期するなど百年河清を待つようなもの。 政治家に対する「企業献金」を止めさせて、政治と行政の中立化、公正化を図るためのはずだった「政党助成金」。しかし、「助成金」は手に入れたが、いまだ、どの政党も「企業献金」を止めさせることができない。政治家たちの濡れ手に粟だけが残る。 さしあたっては、池田信夫氏が自身のブログで主張されているように、今政府によって国会に上程されている「原子力賠償支援機構法案」を廃案にし、東電自身と株主と金融機関に明確な責任を果たさせることである。そして、電力事業を自由化して、電力事業の地域独占を廃止し、官民癒着の歪んだ電力行政を改革してゆかねばならない。 参照 池田信夫『民主党政権は電力自由化でよみがえる』http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51725473.html ![]() 六月も終わり 後二日もすれば6月も終わる。さる三月十一日、忘れるはずもない。東北に起きた地震と津波と原子力発電所の事故から、すでに三ヶ月が過ぎた。失われた十年、あるいは失われた二〇年とさえいわれる、人材も枯渇して疲弊した日本に、追い打ちをかけるような痛手となった。災い転じて復興の契機となし得るのか、それとも泥船のように、ただ沈み行くのみなのか私にはわからない。 戦後民主主義文化の日本と日本人に絶望している者には、すでに同時代人らともほとんど別世界に、異教徒のような立場に生きているようにも見える。それでもただ、自己と国家と民族に対してなすべき義務と使命と考えるところのみは、極力果たして行こうと考えている。同時代の国家と国民に対しては本質的な関心はない。その理由も明確である。真に興味と関心の対象として値するものとは、事物の概念のみがそうだ、といえる。その他の多くは、ほとんどむなしく、かつ馬鹿馬鹿しい。『伝道の書』のコヘレートと同じ眼で世界を見ることを宿命づけられているのか。 テーゼ→アンチテーゼ→ジンテーゼ、正→反→合という、事物の螺旋的な発展を認識することを、我が哲学は目的としているといえる。今年の東北大震災とその津波による原子力発電所のメルトダウンほどに、その具体的な事例としても、深刻なアンチテーゼはこれまでなかった。これほどまでに、原子力発電に対して『否定』を突きつけたられたことはこれまでなかった。この「アンチテーゼ」、「否定」をいかにして克服、アウフヘーベンして行くかが課題になる。この否定の意義を高く評価したのもヘーゲルである。 原発推進派の世人や多くの国民は、その否定的な側面には頬被りして、原子力発電のもつ、その利便性や快適性、また利潤といった観点から、積極的に支持していると考えられるのに対して、私の立場は、原子力発電については、どちらかと言えば「消極的な支持」というものだったろう。 アメリカに国防の首根っこを押さえられ、真の独立のために核武装さえ許されない哀れな日本国のこの現状で、将来の日本国の真の独立の実現という観点から、原子力発電に伴う核技術は、唯一核兵器開発の技術を担保できるものとして、必要悪として消極的に肯定してきたといえる。 しかし、今回の福島原子力発電所の事故を契機として、西尾幹二氏らは、「原子力発電所の存在こそが、日本の核武装、少くとも日本の国防の合理的強化を妨げている」という見解を主張している。 「脱原発こそ国家永続の道」について(二)http://www.nishiokanji.jp/blog/?m=20110628 こうした見解について、今のところ批判し、論評するだけの知識も能力も私にはない。 これまでの論考で、一通り私の立場は明らかにしており、さらなる全面的で広範な客観的な調査と研究なくしては、新しい段階で論考を展開してゆくことはできないと思っている。ブログ投稿の頻度が落ちているのも、そのせいでもある。 先日、軒下のアジサイに剪定鋏を入れる。乾燥した空気の、明るい日差しの下で見るアジサイは、色彩も濁って見える。梅雨の滴るなかでこそアジサイはよく似合う。 梅雨の合間を縫って、山の畑に行く。その巨大な樹木や竹林の叢生の凄まじい生命力に自然の威力の一端を思い知らされる。暫く山に足を踏み入れない間に獣道は失われ、雑草や雑木の凄まじい成長に、見慣れた山野辺の光景は一変している。 植えた後、一度か二度雑草取りをしただけで、ほとんど植えたことも忘れかけていたニンニク畑に足を踏み入れると、ちょうど茎が枯れていた。引っこ抜いて見ると、白く美しい球根が現れた。植える時とその後の二三度の雑草取りだけで、「最高級」のニンニクが手に入る。これこそ、ずぼらな私の目指すべき理想の農業である。早速、五、六株引っこ抜いて帰った。まだ畝には多く残っている。去年は見るべき成果はなかったので、記念に写真を撮って帰る。 ショウガと違って、ニンニクはあまり好きな作物ではない。臭いが気に入らない。それでも、せっかくの収穫だから、何とか美味しく食べる方法を調べてみようと思う。 ネットで少し調べてみると、「醤油漬け」と「蜂蜜漬け」などがあるらしい。何とかここ、二、三日の新鮮な内に実験してみようと思っている。 今年は青紫蘇の成長はよくないらしい。昨年は掃いて棄てるほどあったのに、今年はほとんど自生しているのを探すことができない。去年イチジクの木の脇に植えた名残の青紫蘇が少し葉をつけているだけ。その貴重な葉を四五枚冷や奴に添えるために摘んで持ち帰る。 ![]() ![]() ![]() ![]() 黄砂に煙る市街地 中国では先月の三十日ぐらいから、黄砂が各地に飛来しているらしい。それが偏西風の気流に乗って飛来し、朝鮮半島も黄砂に襲われ、さらに五月二日の今日にいたって、京都の市街地も黄砂に見舞われた。その光景は山からも眺められた。 地球環境の温暖化などについても、諸説があるらしく、なかなか確定的なことはわからないらしい。それでも黄土高原の砂漠化が進んでいるらしいことが推測できる。 ウィキペディアの「黄砂」の項によれば、「黄砂の後に麦の病害である黒さび病が増加することは日本で知られていたが、研究により同じく麦の病害である黄さび病の胞子も毎年黄砂とともに日本に飛来することが分かっている」らしい。尖閣列島や沖縄のみならず、麦畑にも警戒を要するということか。 ![]() 写真出典 360@旅行ナビhttp://www.360navi.com/blogn/index.php?e=520 人間の欲望と二律背反 今年も春が巡り来る。しかし、せっかくに巡り来た春を、もちろんに、心の底から賛美できないのは、この春先に東北地方に、地震、津波と、それに追い打ちをかけるようにして襲った、福島第一原子力発電所の破壊と放射能汚染事故があったからだ。 上野公園や造幣局などの花見にも例年のような浮ついた気分は見られず、日本国民の誰もが多かれ少なかれ、心の底のどこかに不安と哀しみの気持ちを宿している。 国家や企業が、この不幸な事故を、再び安全で強力な組織体制に生まれ変わらせる契機にして行くことができるかどうか、災い転じて福となすことができるかどうか。私たちの国家や企業の組織体制、人間観、さらにはその根底にある思想や哲学にどのような欠陥があって生じた事故なのか、その完全なる自覚と改革なくして真の復活はあり得ない。さもなければ、この世には何も新しいものはない。昔の過ちが繰り返されるばかりだ。 かって自然農法家の福岡正信氏は、人為は自然に必ず劣るという世界観を持っていた。そこにあるのは分別知にもとづく、現代科学のもたらす矛盾である。福岡正信氏の自然農法にふれて、以前に次のように書いたことがある。「自然は完全であり、したがって一切無用である。有限の存在である人間の見て行う世界は、完全なものを分解し分析した部分でしかないものであり、必ず不完全なものである。そこで、氏はすべての人為を捨て、完全な自然に同化して、自然に生かされる生き方の道を歩むことになる。」 昔お上の不興を買って「塩竃を見て参れ」と左遷されたお公家さんがいた。古来、東北、松島は、歌枕になるくらい美しかった。今回の地震と津波とによって、岡倉天心ゆかりの六角堂などもその風光とともに流されてしまった。あらためて自然や神の絶対的な威力を前に人間の有限さ空しさ儚さを思い知ることになる。神の眼からは、原発事故などは、トルに足らない些事に過ぎない。 しかしとはいえ、哲学的な問題としても、日本国を主権国家として、中国やアメリカ、ロシアからどうして独立させて行くか、国民の自由と主体性をどうして回復して行くか、といった課題の方がより深刻で切実である。 山の畑に訪れた今年の春(20110413) ![]() ![]() まだ青いトマトhttp://blog.goo.ne.jp/askys/d/20090726 福岡正信氏の自然農法http://anowl.exblog.jp/8481994 山の恵み http://anowl.exblog.jp/10566374/ ![]()
国家指導者はいかにあるべきか――菅直人首相における事例研究
![]() 日本国民は、とくに戦前戦後の昭和時代以降平成の今日に至るまで、自分たちの国家の政治的指導者に恵まれているとは必ずしも言えないのではないだろうか。とはいえ、それも基準や水準をどこに置くかという相対的な問題でもあるから、中南米のバナナ国家に見られるような、救いようのない腐敗、堕落汚職政治家たちに比べれば、日本の政治家たちの『悪』も、まだそれも比べれば『清貧』とでも見なされるのだろうか。これまでにも、いくらかは多少なりとも、まともな政治家かなと思ったのは小泉純一郎氏だったが、彼もまた、いまだ未熟な安倍晋三氏を、後継者に政治家として推すなどして、指導者としてもっとも肝要な能力である『人を見る眼』の低さを証明して退陣することになった。 それ以来人材の払底した自由民主党では、使い捨ての雑巾のように毎年のようにころころと首相は交代したし、また、一昨年の九月にせっかく民主党が政権交代を実現してからも、鳩山前首相の稚拙な対米外交や東アジア政策などに見られたように、同じく現在の菅直人首相に見るように、日本政治における人材の枯渇の状況は相変わらずに改善されていないようだ。 もちろん西洋のことわざにもあるように『その国の政治の水準はその国民の民度の反映に他ならない』とすれば、日本国民がその程度の水準の政治家、政治しかもてないとすれば、それも自業自得とでもいうべきなのかもしれない。 菅直人首相には、マスコミなどのメディアから、ときおり漏れてくる断片的な情報から伝わってくるものに、『イラ菅』などと揶揄されているように、事に臨んで感情も抑制できずに、露骨にその怒りを口に出して暴発せるらしい、菅直人首相のどうしようもない性癖があるらしい。 そうして伝えられる報道がもし真実で、そうであるなら、部下を大声で怒鳴り散らしなどする指導者は最低というほかはない。先にも、仙谷由人前官房長官などは、自分に気にくわない意見を吐く部下に対して「人事権」を振り回して左遷をほのめかして脅迫などしていたから、この首相と前官房長官などは、まさに「類は友を呼ぶ」ということわざの真理を実証することにはなっているのかもしれない。 部下を怒鳴り散らすなどとは、「最低の上司」のやることだ。日本国のトップがそんな「悪しき見本」を見せるということになると、愚かで自主性のない日本国民はすべて、そうした菅直人首相の愚劣さを見習うことになるだろう。 先の東北大震災における、福島第一原子力発電所の事故でも、菅首相トップ自らが動くことによって、現場に混乱と対応の遅れをもたらしたという批判的な意見も聞かれる。菅直人首相の初動体勢の構築についても、引きつづき検証が行われるべきであるが、要するに、「トップ」自らは、みだりには動くことなく、中枢にあってしっかりと構えて、情報による的確な現状把握と指示を通じて、現場を信頼をして問題の解決を図るべきなのである。 福島原発事故による放射能汚染などは、すでに日本国内の問題に留まらず日本問題として国際的な課題に、また、今日の交通の発達からも、東北大震災についても多くの海外からの支援があったように、こうした事件事故は今日では単に国内の問題には留まらなくなっている。実際に放射能汚染によって、現実に諸外国にも影響を及ぼしているのであるから、早急に、政治のリーダーである菅直人首相は、諸外国に向かって感謝とお詫びのメッセージを発してゆくべきだろう。 私たち日本国民は国家国民のために優れた指導者の現れんことを引きつづき祈るとともに、大学、大学院の教育を改革して、優れた国民的指導者を国民自身の自覚と努力によって育成してゆく必要がある。 武田邦彦 原発 首相が、今、宣言すること
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