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ヘーゲル『哲学入門』第二章 義務と道徳 第六十七節[人間愛について]


§67


Die Pflicht der allgemeinen Menschenliebe(※1) erstreckt sich näher auf diejenigen, mit welchen wir im Verhältnis der Bekannt­schaft und Freundschaft stehen. Die ursprüngliche Einheit der Menschen (※2)muss freiwillig zu solchen näheren Verbindungen ge­macht worden sein, durch welche bestimmtere Pflichten ent­stehen.

{Freundschaft beruht auf Gleichheit der Charaktere, besonders des Interesses, ein gemeinsames Werk mit einander zu tun, nicht auf dem Vergnügen an der Person des Andern als solcher. Man muss seinen Freunden so wenig als möglich beschwerlich fallen. Von Freunden keine Dienstleistungen zu fordern, ist am Delikatesten. Man muss nicht sich die Sache ersparen, um sie Andern aufzulegen.)


第六十七節[人間愛について]


普遍的な人間愛 の義務は、知人や友情の関係にある人々に、より身近に向けられる。人類の根源的な一体性は、自由な意志によってそうした身近な結びつきへと造り上げられなければならない。そうした結びつきから、さまざまな義務が生まれてくる。

友情 は、人格の平等にもとづいており、とくに共通の仕事を一緒に行うことへの利害にもとづくものであり、相手の人格そのものに対する満足にもとづくのではない。人は友人たちにはできうるかぎり迷惑をかけないようにしなければならない。友人たちに奉仕を求めることがないのは、何より結構なことである。人は自分が楽をするために、他人に仕事を押しつけてはならない。)



※1
der allgemeinen Menschenliebe  普遍的な人間愛
こうした一節を見てもわかるように、ヘーゲル哲学がキリスト教を背景にしていることは疑いのないことである。この哲学はドイツ民族の宗教と倫理を母胎として、その結晶として生まれた。

※2
Die ursprüngliche Einheit der Menschen 人類の根源的な一体性、一者性。
人間の一者性、一体性の認識は、人間の抽象的な思考能力から生まれてくる。万人同一な一般人として「私」を把握するのは思考である。個人を普遍の形式によって意識する。

その根源的(ursprüngliche)な認識は、人間の「概念」として捉えられ、そこから、普遍的な「人類」意識が生じる。

普遍の次元は思想の段階であるが、この抽象的な「人類」という認識は、マルクス主義の「労働者」などと同じく、往々にして「祖国」や「民族」や「国家」などの個別具体性と対立的に、ときには敵対的に二律背反的に捉えられる。そのことによってもたらされる結果は深刻である。








# by hosi111 | 2022-11-15 23:05 | 哲学一般


ヘーゲル『哲学入門』第二章 義務と道徳 第六十三節[語ることと真実]


§63

Es setzt ein besonderes Verhältnis voraus, um das Recht zu haben, Jemand die Wahrheit über sein Betragen zu sagen. Wenn man dies tut, ohne das Recht dazu haben, so ist man insofern unwahr, dass man ein Verhältnis zu dem Andern auf­stellt, welches nicht statt hat.


第六十三節[語ることと真実]

誰かが自分の行動について真実を話す権利をもつためには、特別な関係にあることが前提となる。もし人が、そうした権利もないのに、真実を話すとすれば、その限りにおいて、その人は正しくない。と言うのも、特殊な関係にもない他者に対して、その人は一つの関係を設けているからである。


Erläuterung.

説明

Eines Teils ist es das Erste, die Wahrheit zu sagen, insofern man weiß, dass es wahr ist. Es ist unedel, die Wahrheit nicht zu sagen, wenn es an seinem rechten Orte ist, sie zu sagen, weil man sich dadurch vor sich selbst und dem Andern erniedrigt.


一面においては、真実であることを人が知っているかぎりにおいては、その真実を話すということ は、まず第一に大切なことである。真実を語ることが正しいところで人が真実を語らないとすれば、それは高尚なことではない。というのも人はそのことによって自分自身と他者に対して自己を貶めることになるからである。


Man soll aber auch die Wahrheit nicht sagen, wenn man keinen Beruf dazu hat oder auch nicht einmal ein Recht. Wenn man die Wahrheit bloß sagt, um das Seinige getan zu haben, ohne weiteren Erfolg, so ist es wenigstens etwas lieber flüssiges, denn es ist nicht darum zu tun, dass ich die Sache gesagt habe, sondern dass sie zu Stande kommt. Das Re­den ist noch nicht die Tat oder Handlung, welche höher ist.


しかし、もし人が真実を語る義務もないところで、また、そうする権利をかって一度ももったこともないのであれば、人は真実を語る必要はない。もし人が自分の役割を果たすために、さらなる効用もないのに、ただ単に真実を語るとすれば、少なくともそれは 余計なこと であろう。
なぜなら、何か事柄について私が話したということは重要なことではなく、そうではなく、話したことのもたらす結果が重要だからである。話すことはまだなお行動でもなければ行為でもない。行動や行為は話すこと以上に高尚なことである。


— Die Wahrheit wird dann am rechten Ort und zur rechten Zeit gesagt, wenn sie dient, die Sache zu Stande zu bringen. Die Rede ist ein erstaunlich großes Mittel, aber es gehört großer Verstand(※1) dazu, dasselbe richtig zu gebrauchen.

何か事柄が実現するのに役立つように、真実は正しい場所 と正しい に語られるべきである。語ることは驚くべき偉大な手段である。しかし、正しく語るには優れた知性を必要とする。


※1

話すこと、語ることは人間のみに与えられた驚くべく素晴らしい偉大な能力であり素質である。しかし、正しく語り、話すには優れた知性(großer Verstand)が必要である。
Verstand はここでは「知性」と訳したが、哲学においてはふつう「悟性」と訳される。
ヘーゲル哲学においては、この 「悟性 Verstand」 は 「理性 Vernunft」とならぶ根本的に重要な概念である。

Verstand は ふつうの日本語では「分かる」こと、英語では「understand」に相当するが、それは「理解する」とか「物分かり」とか言われるように、人間の分析能力と深くかかわっている。

人間の知覚によって「塩」は分析されて 、「辛く」もあり「白く」もあり「(その結晶は)立方形」でもあるものとして捉えられる。(「精神の現象学」)

これは「悟性 Verstand」の能力、つまり判断能力(Urteil)によるものであるが、ここにおいてはじめて「個別」から「普遍」が出てくる。

しかし、往々にして「悟性 Verstand」は、おのれが分断した一方のみをもって「真なるもの」と主張し、他方を否定する。「悟性 Verstand」はこうして、「抽象(普遍)の餌食」になる。たとえば、今は亡き憲法学者の奥平康弘氏などは「天皇制は民主主義とは両立しえない」などと主張して「皇室」を否定する。

いずれにせよ、カントに代表される「啓蒙哲学」が「悟性 Verstand」の意義を明らかにしたことをヘーゲルは高く評価する一方において、その限界をも指摘し、それを克服するものとして、「理性 Vernunft」の概念を明らかにする。
  
理性については、この『哲学入門』においては、第三課程、概念論、第三部「三、理性的思考」として説明されている。

※ご参考までに

ヘーゲル『哲学入門』序論についての説明 一[知覚について] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/9Y7uC8

ヘーゲル『哲学入門』序論 七[意志の抽象的自由] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/oCish9

3月11日(月)のTW:#悟性、#Sollen、#ゾレン - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/GlVxOO

Allgemeine Begriffe(普遍的概念)がもたらす恐ろしい不幸 - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/laFMfT

「悟性的思考」と「理性的思考」2 - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/K5RNfJ

11月23日(日)のTW:天皇を「自然人」としてしか見れない奥平康弘氏 - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/5bQHV2

12月5日(金)のTW:「天皇制」の合理的な根拠?(2) - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/q7lq76



ヘーゲル『哲学入門』第二章 義務と道徳 第六十三節[語ることと真実] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/GM2Nfb





# by hosi111 | 2022-10-05 16:06 | 哲学一般


ヘーゲル『哲学入門』第二章 義務と道徳 第六十二節[意図と行為]


§62


Zur Unwahrhaftigkeit gehört auch vorzüglich, wenn das, was man meint, eine gute Absicht oder Gesinnung sein soll, dage­gen, was man tut, etwas Böses ist. (Diese Ungleichheit zwi­schen der Gesinnung und dem, was die Handlung an sich ist, wäre wenigstens eine Ungeschicklichkeit, aber, insofern der Handelnde überhaupt Schuld hat, ist ein solcher, der Böses tut, dafür anzusehen, dass er es auch böse meint).※


第六十二節[意図と行為]

不誠実ということには、何よりもまず、人が善い意図や心情で なければならない と思っているのに、それとは反対に、何か悪いことをしでかしてしまうような場合もまた含まれる。
(この心情と行為そのものとの不一致はいずれにしても、拙劣なものの一つではあるだろう。しかし、いずれにせよ、行為者に過失があるかぎりは、かような悪行を為す者は、やはりそのために、悪いことを考えていたと見るしかない。)


人間は、そもそも内心や心情や意図ではなく、その行為によって、結果によって、その現実によって判断されるべきものである。行為や現実においてこそ、真意が現れる。

先の第六十一節においても述べられたように、人間の意識は分裂しているがゆえに、誠実であるかどうかは、言葉ではなく行為によって証明される。このことはとくにロシアのプーチン大統領や日本の岸田文雄首相などの政治家たちについて言えることである。





# by hosi111 | 2022-10-03 16:18 | 哲学一般


§50


Diese Gesinnung besteht näher darin, dass jedes Glied der Fami­lie seine Wesen nicht in seiner eigenen Person hat, sondern dass nur das Ganze der Familie ihre Persönlichkeit ausmacht.


第五十節

この(家族愛の)心情は、さらに詳しくいうと、家族の成員は自分たちの本質を、自分たちに固有の人格のうちにもつものではなく、むしろ、彼らの人格性を造り上げるのは、ただ家族の全体のみであるということに基づいている。


§51


Die Verbindung von Personen zweierlei Geschlechts, welche Ehe ist, ist wesentlich weder bloß natürliche, tierische Vereinigung, noch bloßer Zivilvertrag, sondern eine moralische Vereinigung der Gesinnung in gegenseitiger Liebe und Zutrauen, die sie zu Einer Person macht.


第五十一節

婚姻という男女両性の人格の結びつきは、本質的には単なる自然的な、動物的な一体化でもなければ、また市民的な契約 でもなくて、むしろ相互の愛と信頼による心情の一つの道徳的な一体化であり、それらは一個の人格をつくるものである。(※1)


§52


Die Pflicht der Eltern gegen die Kinder ist: für ihre Erhaltung und Erziehung zu sorgen; die der Kinder, zu gehorchen, bis sie selbstständig werden, und sie ihr ganzes Leben zu ehren; die der Geschwister überhaupt, nach Liebe und vorzüglicher Billig­keit gegen einander zu handeln.


第五十二節


子供たちに対する親の義務 は、子供たちの 養育 教育 に気を配ることである。子供らの義務 は 自分たちが独り立ちできるようになるまで、親に服従することであり、そしてまた両親をその全生涯にわたって尊敬することである。兄弟姉妹の義務 は一般に、お互いどうしが、愛とすぐれた公正さをもって行為することである。(※2)



※1
市民社会の段階で分裂した家族は、次の「国家」の段階において、ふたたび相互の愛と信頼による家族的な心情の道徳的な一体化が回復される。


※2
第五十二節において家族への義務の記述を終えて、つぎに「Ⅲ 国家への義務」へと進むが、ヘーゲルの「法の哲学」の体系から言えば、「家族」と「国家」の間には「市民社会」が存在するから、「市民社会に対する義務」が述べられなければならないはずである。しかし、その項目はかかげられてはいない。

ただ「市民社会に対する義務」についてはすでに実質的には「Ⅰ 自己に対する義務」の中において、「職業の義務」として論じられている。



ヘーゲル『哲学入門』第二章 義務と道徳 第五十節、第五十一節、第五十二節 [家族の義務] - 夕暮れのフクロウ https://cutt.ly/kJaz6ni





# by hosi111 | 2022-05-30 18:12


§50

Diese Gesinnung besteht näher darin, dass jedes Glied der Fami­lie seine Wesen nicht in seiner eigenen Person hat, sondern dass nur das Ganze der Familie ihre Persönlichkeit ausmacht.


第五十節

この(家族愛の)心情は、さらに詳しくいうと、家族の成員は自分たちの本質を、自分たちに固有の人格のうちにもつものではなく、むしろ、彼らの人格性を造り上げるのは、ただ家族の全体のみであるということに基づいている。


§51

Die Verbindung von Personen zweierlei Geschlechts, welche Ehe ist, ist wesentlich weder bloß natürliche, tierische Vereinigung, noch bloßer Zivilvertrag, sondern eine moralische Vereinigung der Gesinnung in gegenseitiger Liebe und Zutrauen, die sie zu Einer Person macht.


第五十一節

婚姻という男女両性の人格の結びつきは、本質的には単なる自然的な、動物的な一体化でもなければ、また市民的な契約 でもなくて、むしろ相互の愛と信頼による心情の一つの道徳的な一体化であり、それらは一個の人格をつくるものである。(※1)


§52

Die Pflicht der Eltern gegen die Kinder ist: für ihre Erhaltung und Erziehung zu sorgen; die der Kinder, zu gehorchen, bis sie selbstständig werden, und sie ihr ganzes Leben zu ehren; die der Geschwister überhaupt, nach Liebe und vorzüglicher Billig­keit gegen einander zu handeln.


第五十二節

子供たちに対する親の義務 は、子供たちの 養育 教育 に気を配ることである。子供らの義務 は 自分たちが独り立ちできるようになるまで、親に服従することであり、そしてまた両親をその全生涯にわたって尊敬することである。兄弟姉妹の義務 は一般に、お互いどうしが、愛とすぐれた公正さをもって行為することである。(※2)



※1
市民社会の段階で分裂した家族は、次の「国家」の段階において、ふたたび相互の愛と信頼による家族的な心情の道徳的な一体化が回復される。


※2
第五十二節において家族への義務の記述を終えて、つぎに「Ⅲ 国家への義務」へと進むが、ヘーゲルの「法の哲学」の体系から言えば、「家族」と「国家」の間には「市民社会」が存在するから、「市民社会に対する義務」が述べられなければならないはずである。しかし、その項目はかかげられてはいない。

ただ「市民社会に対する義務」についてはすでに実質的には「Ⅰ 自己に対する義務」の中において、「職業の義務」として論じられている。



ヘーゲル『哲学入門』第二章 義務と道徳 第五十節、第五十一節、第五十二節 [家族の義務] - 夕暮れのフクロウ https://cutt.ly/kJaz6ni






# by hosi111 | 2022-05-30 02:04 | 哲学一般