人気ブログランキング | 話題のタグを見る

11/24のツイートまとめ

11/24のツイートまとめ_d0008729_19113315.jpg
soratine

家族→市民社会→国家の、正反合の弁証法的発展の論理。現代日本には、家族、市民社会はあっても、国家がない。国家がないゆえに、家族も今や崩壊の危機にある。しかし、国家の復権は必然的な課題であるのかどうか。
11-24 21:57

第二バチカン公会議公文書全集を参考にするように、国家や民族を基礎に、それを一個の宗教的共同体として、どのように哲学的に指導してゆくべきかを、100年、200年にわたる長期的な観点から、理論構成を図ってゆくべきだ。
11-24 21:56

あるいは、それはまた、自己を思考する精神として存在する、時代の精神でもある。豊かで多彩な全体は、その姿を単純な焦点にあてて、すなわち自己を知る概念としての哲学の中に、自己の姿を映すのである。f (ibid s 116  )
11-24 20:49

一つの目的から造られている寺院である。哲学も、確かにそれらの多様な側面の中の一つの形式ではある。しかし、それはもっとも美しい花である。それは精神の全形態の概念であり、全形態の意識であるとともにその精神的な本質である。e
11-24 20:45

精神は自分の到達した自意識の各特定の段階の原理をいつも、その多くの面をもつ富の版図全体の中で完成するとともに、その全体の中に浸透してゆく。ある民族のこの豊かな精神は一つの組織でもある。それは天井、廊下、柱、堂、さらにさまざまな分室をもつが、そのすべてが一つの全体から、d
11-24 20:34

あるいはまた彼らの諸々の宗教、戦争や外的諸関係の一般と、さらにまたこの特定の原理がこれまで支配権を握っていた諸国家の没落と、あるいはまた、より高い原理の発生と発展に基づく諸々の新国家の成立と繁栄と、———時を同じくするのである。c
11-24 20:15

それゆえにある哲学の特定の形態は、その下にその哲学が現れるところの民族の特定の形態と時を同じくする。すなわち、その民族の国家組織や行政形式、その倫理、社会生活、その社会生活上のいろいろの技術や習慣や施設と、あるいは、また芸術や学問における彼らの企画や業績と、b
11-24 20:10

しかし、一般的に言って、人々が一般的に哲学をやるというような時代はない。哲学はある民族の中に特定の哲学として現れるのである。しかも、思想の立場のこの特定の規定性は、民族精神のあらゆる他の歴史的な側面を貫徹し、それらと密接な関連をもち、またそれらの根底をなすところの規定性である。a
11-24 20:03

今や国家と教会との間に亀裂が生じたとき、そこにはじめて哲学が、省みられることになった。もっとも、それが独立的なものとなってくるのは、のちに近世になってのことではある。このように哲学は全体の発展のある時期にのみ現れるものなのである。 (ibid s 114  )
11-24 19:58

ソクラテスやプラトンは没落しつつあったアテナイの国家生活に、もはや何の喜びも感じなかった。プラトンはディオニシオスの下で、よりよい国家を実現しようと試みた。こうしてアテナイにおいてはアテナイの国民の滅亡とともに、哲学がそこに生じる時代が出現する。哲学史序論 (P 114 )
11-24 19:50


by hosi111 | 2011-11-25 00:00