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個別・特殊・普遍の論理 ①

概念論の研究

ヘーゲルの概念論については、日本においてはもちろん、あるいは世界においてもほとんど研究されていないといってよいのではないだろうか。おそらくこの日本においても、ヘーゲルの概念論について研究しようと志すような「篤志家」はおそらく十指に満たないのではあるまいか。

またマルクスなどが誤解したように、多くの唯物論者たちがヘーゲル哲学に難破して悲喜劇を演じるのは、とくに、ヘーゲルの概念論の理解において挫折しているためであると思われる。

私たちも決してヘーゲルの概念論を正しく捉えることができると自惚れるわけではなく、また、それにどのような意義があるのか、現在のところは分からない。エベレストの山塊の頂上からどのような景色を俯瞰できるのか、それは登攀して頂上を極めるまで分からないように、彼の概念論に果たしてどのような意味があるのか、あるいはないのか、それは登って見なければ分からない。さしあたっては、何かがあると信じて登るしかないのだ。

それはとにかく、個別と特殊と普遍は概念のもつ契機(モメント=要素)として捉えられている。この概念の契機としての、普遍、特殊、個別の正確な理解は、事物の発展の論理を捉える上で大切であると思う。

概念の持つ三要素としての個別、特殊、普遍についての説明については、論理学の「第三部の概念論」に詳細に論じられている。そこでは次のように説明されている。

有という場面における概念の進行は他者への移行であり、本質の進行は反省であるのにたいして、概念の進行は自己の発展(展開)として捉えられている。なぜなら、概念の進行は自己と同一性を保ちつつ自己を実現するものであり、その意味で自由なものであるから。

論理構造の全体から鳥瞰すれば、まず、概念は主観的概念から、すなわち、概念としての概念から始まり進展して、それは客観的な概念に移行(展開)する。そしてこの主観的概念が、客観的な概念に揚棄されて、絶対的な概念へと、すなわち絶対的な真理に至る。概念の進展の大きな骨格はこのようなものであるけれども、ヘーゲルはまず、概念としての概念、主観的な概念について、概念そのものとしては普遍性、特殊性、個別性の契機を含んでいるという。

この個別性はいうまでもなく現実のレベルの論理であるけれども、ただ問題は、ヘーゲルにおいては、この個別者が概念から出たものとされている点である。この点が、有から無への移行と同様に、唯物論者をはじめ、普通の意識やいわゆる一般常識には解しがたいのである。そして、このような論理はヘーゲルが観念論者のゆえの言説だとして簡単に片付けてしまって、この個別者を生み出す概念そのものが真剣に検討されることはほとんどなかった。
by hosi111 | 2007-03-17 23:51 | 概念論