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個別・特殊・普遍の論理④  心と身体


概念論の研究

これまでヘーゲル哲学の発展の論理は、正(テーゼ)――反(アンチテーゼ)――合(ジンテーゼ)の側面からのみ捉えられるのが一般的で、個別――特殊――普遍の視点から捉えられることはほとんどなかった。そのことも、ヘーゲルの論理が現実を分析するための有効な道具にならなかった要因の一つではなかったかと思われる。前にキリスト教の三位一体の思想の中に、この個別――特殊――普遍の論理を洞察したが、さらに、人間の心の発展の論理として、その意義を検討してみたい。

人間の心は、ヘーゲルの哲学体系のなかでは、主観的精神の中の人間学の対象として捉えられている。いうまでもなくヘーゲルにおいては、精神は自然の真理として生成されるものであるが、この精神は、さしあたっては、人間の心として現われる。

この心の特質はその非物質性にあり、それは身体という物質的な生命と対比して「自然の単純な観念的な生命」(第三篇 精神哲学 §389)として捉えられており、この観点は、宗教における「永遠の生命」を考察するうえでも興味をもてるが今ここではこれ以上立ち入らない。

精神もまた、さしあたっては心として実体的なものであり、精神のあらゆる特殊化と個別化の絶対的な基礎として、すなわち普遍として捉えられている。この実体(Substanz)としての心は、まだ精神の基礎として存在し、それは、さらに「意識」から「精神そのもの」へと進展する。人間の心は、まだ眠りの段階にある精神として捉えられている。それは、さしあたっては、自然のままの心であり、そうした段階にある心は、自然の現象と深く共感し合い、またそれに規定されている。

人間の心は、夜と昼などの時刻によっても左右される。夜は瞑想的になるのに、昼は開放的であり活動的である。また、春の陽気な気分と厳冬の陰鬱な閉鎖的な心のあり方など、自然の四季などの外部的な環境によって影響されやすい。その事例は多くの詩歌の中に見て取れる。

そうした原始的な心は、地球や自然の運行と共に生きている。その典型は、十分に発達した心を持たない、イヌやサルなどの動物に見られる。彼らはいまだ自然的な本能に規定されて生きているのであって、心はその身体から分離せず、十分な自立性と独立性を獲得していない。彼らの本能は、いわば、まだ自然のなかに埋没してある精神であってこの低い段階にある動物は、天体や自然の運行によって規定されている。

彼らは季節の交代によって交尾に駆り立てられ、また、冬眠し、また越冬のために大陸を横断する。しかし、動物と異なって、人間の心と自然との関係は、もっと自覚的、意識的なものである。確かに女性の月経のように、人間の身体も自然や天体の運行に影響を受け、それに伴って心もそれらに影響されることもあるが、しかし、人間の心は、動物と比較して、自然環境からはるかに自立性、独立性を得るまでに発達している。

確かに原始人や古代人は、日食や月食、流星などの天体現象などの影響を受けて政治的な判断をしたり、また動物の骨片を焼いて、そのひび割れという偶然的な自然現象から、運命的な事柄を占ったりする。自然にまだ内在的な精神、普遍的な精神は、さしあたっては、こうした人類の心として存在するが、それはやがて、この地球上のさまざまな自然環境に応じて、分化され、特殊化された人種や民族の精神として、具体的にさまざまな区別へと進展してゆく。
by hosi111 | 2007-04-18 19:39 | 概念論