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安倍晋三氏の「美しい国」

参議院選挙が告示された。7月29日に投票が行われ国民の審判が下される。安倍内閣が発足して10ヶ月、中間試験が行われることになる。私たちはこの内閣をはじめ、この国の政治をどのように評価するか、また、この国の進路をどのように定めるか、この国の舵取りをどうして行くか、国民の判断が問われるところとなる。

安倍内閣が発足して以来、私たちもこの内閣の行方を見守ってきた。「美しい国」という耳ざわりのよいスローガンを掲げ、インド、オーストラリア、ニュージーランドなどを繋いで「自由と民主の弧」の構築を掲げて、日本の歴代の首相の中でも若い安倍晋三氏は颯爽として登場してきた。もちろん、こうしたスローガン自体には誰も反対はしないだろう。北朝鮮すら自分たちこそが本当の「自由と民主主義の国」であると主張している。

この若い首相の主張する「美しい国」とはどのようなものだろうか。私たち国民も期待をしてそれを見つめていた。内閣にせよ女性にせよ、その本当の姿は、付き合いの時間の経過の中で明らかになって来る。物事の本質は多くの現象の累積の中に、時間と歴史の進展のうちにその本質を、その本当の姿を明らかにしてゆく。

そして、安倍内閣が発足してほぼ十ヶ月、とくに安倍内閣の中で気がかりなのは、そして、その「美しい国」というスローガンにもっとも離反していると思ったのは、松岡利勝前農水相の政治資金収支報告の問題処理に当たっての安部首相の対応の仕方である。少なからず安倍首相の「美しい国」に期待を寄せていた私にとっても、失望したのは、その際の安倍首相の姿勢であった。そして、その後任に選出された赤城徳彦新農水相においても同じように持ち挙がった政治資金の管理と報告についての安倍首相の対応であった。

政治家や政党の政治資金に関して、松岡前農水相のときも、このたびの赤城新農水相の場合も、安倍首相はまったく同じ姿勢で対応した。私がもっとも失望したのは、先の松岡農水相の自殺を受けて衆議院に上程され新しく政治資金規正法が「改正」された際に、安倍首相は指導力をほとんど発揮することなく、自民党をはじめとする政治家たちと国民の遅れた政治文化の改革に強力に取り組もうとしなかったことである。

日本国の現状でもっとも醜い側面は、この政治家と国民の金にまつわる問題である。そこには、安倍首相は自民党の古く醜い政治家の慣行には、ほとんどメスを入れることなく、大勢に追随して、「領収証の添付は五万円以上」に、そして、規制の対象はすべての政治団体ではなく「政治資金管理団体のみ」というまったくのザル法を通過させて、国民の目を欺き、日本国のもっとも「醜い政治文化」の改革にも取り組もうとしなかった。安部首相のこの姿勢が明らかになることによって、安倍晋三氏の「美しい国」の「概念」はようやくその姿を明らかにし始めたのである。

新しい「改正政治資金規正法」のようなザル法に満足している国が、政治家や国民の現状が美しいとは思えない。安倍晋三氏の「美的感覚」を疑わざるを得ない。少なくとも、氏の美的判断能力を疑わざるを得ない。それとも安倍氏は、自分自身の実際の判断と異なる主張をする偽善者なのだろうか。

政治風土、政治文化の改革を中心的なテーマとして自覚し追求しなければならない。それが結果として、前松岡利勝農水相のような「政治と金」をめぐる悲劇を防ぐことになる。今回の赤城徳彦氏に同じ運命を繰り返させたいのだろうか。そんな些事のために有為な人材を歪め失うことほど、国家と国民にとっての損失はない。

安倍首相の美的判断能力が国民一般のそれと食い違うことになっているのは、赤城徳彦新農水相の場合と同じく、彼らが政治家の家系の二世三世議員として、旧来の日本の政治文化の環境の中にどっぷりと漬かって生まれ育ってきたためである。「政治と金」をめぐる日本の政治家たちの旧来の慣行が彼らにとっては生まれながらの環境になっている。必ずしも二世三世議員を完全に否定し去るつもりはないが、そのもっとも悪しき一面が出ていることは明らかである。

来る参議院選挙では、現在の自民党と公明党による安倍首相の連立内閣与党を、過半数割れにして野に下し、そして、それをきっかけに、自民党を結党以前の自由党と民主党へと分割して、政界を再編成してゆくことによって日本の政治はダイナミックに再生できる。若い安倍首相には、再び国民の付託に応えるときがくれば、再登場する機会もあるだろう。そして自由主義と民主主義の理念の実現を、自由党と民主党がそれぞれ担うことによって、日本国内の自由と民主主義をさらに充実してゆきながら、ユーラシア大陸にまたがる「自由と民主主義の弧」の建設に取り組んでゆきたいものだ。
by hosi111 | 2007-07-13 11:36 | 概念論