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一年を振り返る


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一年を振り返る

青少年の頃からアナログの日記は記録して来ているけれども、近年になってインターネットやブログなども出来るようになって、過ぎ去った昔を瞬時のうちに回顧できるようになったのはありがたい。そこではアナログ日記ほどに詳細な記録はできないけれども、それでも我が言行の事跡の概略を容易に辿ることはできる。

あらためて今一度2009年(平成21年)の私にとっての意義を振り返っておきたい。この一年は論文の制作としてはまったくまったく貧弱な結果に終わった。けれども、とは言え、まったくに無駄な一年だったと言うことでもなかったか。「悟性的思考と理性的思考」や「国家の基礎としての聖書」など、いくつかの私にとって重要な論考を公表できた。ただ懸案の「哲学百科辞事典」の構成についてはほとんど着手できずに終わった。反省しなければならない。

秋になって裏庭にはじめてコスモスを咲かせた。取るに足らないことだけれども、それでも四年越しの思いは実現した。計画していた京都の町々の歴史的な探訪や紀行文もほとんど実行できず、成果がなかった。けれども、わずかながらも、近所の松尾神社で観月祭をに参加することのできたことの思い出はささやかでも印象深い。また年の暮れになって、はじめて田舎の古民家を見学した。それがもし一つのエポックを画すことの端緒ともなればうれしい。

農事に関しては、今年は夏野菜を作ることが出来なかった。多忙で暑かった夏は論考においてほとんど何の成果もなかったけれども、その反面では貴重な体験を経たといえるかもしれない。

その暑く忙しい夏の終わりに、衆議院総選挙があり、民主党が政権交代を実現した。このせっかくの歴史的な政治的エポックの時期に、2005年の小泉郵政総選挙における民主党の大敗の時のように、選挙の経緯を追跡できなかった。残念だった。だから、社会主義の影響を色濃く残している現民主党政権の「バラマキ政策」による財政破綻という最大の懸念に対して、せいぜい「民主党は「社会主義の歴史」に学べ」という小論を書くことくらいしか出来なかった。

この一年は少なからず個人的生活において変化はあったが、それにも関わらずというと言うべきか、わずかながらも論考の軌跡を残しておくことのできたことで良しとしなければならないのかもしれない。哲学や思想の営みは、衣食住の満ち足りた余暇(SCHOOL)にこそ、実行しうるものでもあり、生活に追われている者が片手間でできるようなものではないからである。ましてや2009年は、昨年末のいわゆる「リーマン・ショック」を端緒とした、アメリカの住宅バブル、サブプライムローン問題の破産とその清算に全世界がのたうち回った一年でもあったから。

年末の冬の野菜については昨年よりも豊かな収穫を得られた。柿の木については、十分な添え木を怠ったために、サルに根本から折られるということに相成った。まだ、自然の表面をなぞるような飯事に終始している段階ではある。

年越しの除夜の鐘と美しい星空も、今年は山で聴き眺めながら過ごすことができなかった。おそらく来年も基本的には生活のスタイルは変わらないと思う。目的はただ一つ。「神の国」を求めよ。御国の来らんことを。さらに哲学と思想に進歩と充実のありますように。ギリシャ語やドイツ語の語学力に進歩のありますように。論考においても、さらに稔り多き年でありますように。

私自身が世界と歴史の中心である。主観的にはすべての個人はそうでしかありようがない。詩篇の註解をはじめとする聖書の註解を書くことこそ、真に意義のある価値ある唯一の仕事かもしれないのに、それを放置したまま、どうでもよい些末な事柄に従事している。三位一体の聖書の神を、さらに深く知ることの出来ますように。これこそ哲学の最大の核心的な課題といえる。

このことと比較すれば、政治や経済を論じることなどは児戯に等しいのかもしれない。金儲けや政治に多数の支持を得るために駆けずり回るような生涯に満足できる者にはそうさせておけばいい。蓼食う虫も好き好きである。ただ私としてはひたすら論考に打ち込める日々の早く来たらんことを。

上の写真は、年末に見学した古民家。
by hosi111 | 2009-12-31 11:40 | 日記・紀行