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メル友

パソコンでインターネットをはじめてから七年くらいになるけれども、これまでなんとなく面倒くさくて、いわゆるメール友達というものを作ってこなかった。自分の勉強に忙しく、それに哲学や宗教に興味や関心のある友など、そうおいそれとありそうにも思えなかったから。


特に日本人は宗教に関しては深い精神的な傷を負っている。最近ではオーム真理教やその他の新興宗教の引き起こしている問題があり、さらには、太平洋戦争の敗北の結果として天皇の人間宣言がある。日本国民はさまざまに「宗教」に裏切られてきた結果、簡単に宗教を信じられなくなっている。日本人の多数にとっては、すでに宗教の信用は地に落ちてしまっている。宗教などに関心を示すものは、胡散臭い目で見られる。


その結果として、日本人は「黒い花」を持たない民族に、形而上学を持たない即物的な民族になってしまった。その結果、日本国民の精神は空虚さに満ち、品性を失い、人間関係はすさみ、家族や兄弟は絆を失い、互いに敬愛の感情も持てず、物質的には豊かではあるけれども、国民の幸福感は、あまたの経済小国にも及ばない。若者から気品と落ち着きが消え、焦燥と潤いのないささくれ立った表情が目立つ。


岩下壮一の『カトリックの信仰』を読む。明治の時代や戦前には日本にはこうした人物を生む余地を持っていたと思う。戦後の教育では池田大作のような人物や信者がのさばっても、岩下壮一や波多野精一といった人物は生まれないようになっているのかも知れない。日本国民にとって悲しむべきことである。教育や精神的な文化的な風土が根本的に変質してしまったのかも知れない。


岩下のキリスト教論については彼の教会観以外はほぼ同意できる。幸いなことに聖書そのものにはどこにもカトリックに帰依せよとは書かれてはいない。確かに、ペテロは信仰と教会の巌、土台であるとしても、今日のカトリック教会がペテロの教会を継承しているかどうかわからない。とにかく、聖書そのものには、どこにもカトリックに帰依すべしとは書かれていない。聖書はたとえすべての教会が朽ち果てたとしても、一点一画も失われない。教会がなくとも聖書は存続しつづけるが、聖書なくして教会は存続できない。聖書は教会を生むが、今日のどんな教会も聖書を作れない。唯一の権威は聖書のみ。これがカトリック教会に権威を認める岩下と私の見解を異にするところである。


私にとって聖書の共同体とは、すなわち天にある神の国が降り来るべきこの世の「神の国」は日本以外にはありえない。私にとって聖書の「イスラエル」は「日本」に置き換えて読まれるだけである。ただそれだけで、ユダヤ人やギリシャ人の聖書は、日本人の聖書ともなる。聖書の神は、ユダヤ人のみならず人類の神である。これは創世記を読めばわかる。当然に日本人の神でもある。


偽りの宗教、偽りの指導者がすっかり消え失せた百年後五百年後千年後の日本国と日本国民に残されるのは聖書のキリスト教だけだと思う。引き続き、ヘーゲル哲学を導きの糸として、聖書のキリスト教を研究しつつ、自分の思想を確立して行きたいと思う。


これからは、少し暇を創って、宗教や哲学について議論を楽しめる「メル友」も探して行こうと思う。単独ではあっても、社会的動物でもあるから。しかし、果たしてこの国にそんな友がいるのかどうか。


追記


新しく結成された国民神道の、いや間違った、国民新党のホームページに小泉首相が主人公の四コマ漫画が掲載されていました。とても面白い漫画で笑ってしまいました。


 


by hosi111 | 2005-08-27 23:12