人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ヘーゲル哲学史2

フィヒテ哲学批判

ヘーゲルはフィヒィテ哲学をカント哲学の継承者であると考えている。「フィヒテの哲学はカントの哲学の完成であり、特にその首尾一貫した展開である。」岩波全集哲学史下三(p129)



フィヒテは「知られることの少ない本格的な思弁哲学」と「通俗哲学」を残したが、彼は後者によって多く知られている。ibid(p131)


一.本来のフィヒテ哲学


ヘーゲルはフィヒテの功績を次のように述べている。
カント哲学の欠陥を、「全体系に思弁的な統一を欠く没思想的な不整合」に見たヘーゲルにとって、フィヒテこそ、その不整合を止揚した人に他ならなかった。ibid(p132)
フィヒテの心を捉えてやまなかったのは、この不整合を揚棄する絶対的な形式だった。


フィヒテの哲学は「自我を絶対的な原理とするから──それは同時に自己自身の直接的な確実性である──宇宙の全内容がその所産として叙述されなければならない。」ibid(p132)


フィヒテもヘーゲルにとっても、自我とはこのような存在であった。すなわち言う。
「直接現実になっている概念と、その概念になっているこの現実──しかもこの統一を超えた第三の観念はなく、また、それは差別や統一をその中に含むものである──それが正しく自我なのである。自我は自己を思考の単純性から区別し、また同時に、この他者を区別する手段も直接的に自我に等しく区別されない。したがって自我は純粋な思考でもある。」ibid(p133)



フィヒテが原理とするこの自我は、概念的に把握された現実である。なぜなら、他者を自意識の中に取り込むことこそ、「概念的に把握する」ことに他ならないからである。そして、概念の概念とは、概念的に把握されるものの中に自意識が自己の確実性を見出すことである。これが絶対的な概念であり、絶対知である。しかし、フィヒテは、ただこの概念の原理を提起したのみであって、概念そのものを展開して、学を、絶対知を確立するまでには至らなかった。ibid(p134)



これを実現したのがヘーゲルであり、彼の精神現象学だった。


 


by hosi111 | 2006-02-27 16:50