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参議院は本当に必要か

復党組4人が会見 「郵政民営化には反対していない」(朝日新聞) - goo ニュース


参議院は本当に必要か


昨年の郵政民営化総選挙で小泉首相の郵政民営化に反対して自民党を離党させられた議員が自民党に復党した。なぜ自民党は彼らを復党させなければならなかったのか。


来年の夏には、参議院総選挙が行なわれる。現在の参議院の勢力地図は衆議院に比較して与野党は伯仲しており、二十余議席程度の議席の移動があれば、与野党逆転の可能性がある。衆議院において自民党は、参議院のドンである青木幹雄氏や片山虎之助氏らを中心に、来年夏参議院選挙の勝利を期している。


そのために、青木氏らは、郵政総選挙の離党組みの党員復帰を働きかける必要があると考えたのである。なぜなら、いわゆる離党組みは、地方において特定郵便局や医師会、商工業者、土木建築業者らを通じて強固な選挙地盤を確立しており、選挙に強いと見られているからである。実際彼らは、郵政総選挙でも、自民党の公認なくして選挙戦を勝ち抜いてきた。彼らの手を参議院選挙に活用したいためである。


また青木氏らは、「今の野党が中心となる政治では日本は国際社会で生き残ることはできない」と述べて、けん制してもいるが、たしかに、現在の民主党はきわめて問題も多いが、しかし、はたしてそれが参議院の現状を放置するだけの論理になりうるかどうかは問題である。



昨年の郵政総選挙でも考察したように、実際はあの選挙は、自民党が国民政党に脱却できるかどうかが、真の争点だった。そして、小泉氏と武部氏に指導された自民党は、公募候補を擁立して選挙戦を戦い、実際に労働組合などに依存して国民政党に変身し切れなかった民主党を尻目に、圧倒的な勝利を収めたのである。


その選挙から、まだ一年も経過するかしないかの現在、郵政民営化離反議員の復党問題を幹事長中川秀直氏に丸投げして事実上それを承認し、指導力を発揮しなかった安部晋三新首相に、来年の参議院総選挙で国民がどのように反応するかが問題である。


ここで安部首相の改革に対する志と能力の低さが露呈したにすぎない、と私は思う。これによって、参議院自民党は相変わらず既得権益重視の旧態依然とした議員集団であることが明らかになったし、小泉氏や武部氏らの改革の意志は参議院にまでは及んでいないことが確認された。


昨年の郵政民営化総選挙を通じて、小泉前首相や武部前幹事長の手によって、かろうじて、自民党は国民政党へと脱却しようとしたのに、旧態依然とした参議院自民党に対する指導力を発揮し得ない安部首相は、いわゆる無党派層とされる、特定の支持政党を持たない「国民」に目を向けるのではなく、参議院議員の支持基盤である特定郵便局長や地方の土木建築業者などの、旧来の既得権益集団の利益擁護に目を向けていることが明らかになった。


そして、衆議院と異なり、参議院のそれが病膏肓に入るのは、その既得権益集団の現実と実態がただ単に自民党議員にとどまらないからである。公明党や民主党の与野党議員にも共通する土壌になっている。参議院は改選期間も長く、衆議院ほどには日常的に国民の目にさらされる機会が少ない。だから国民は衆議院以上に選挙を通じて明確な意思表示を行なう必要があるだろう。


そうして選挙を通じて意思表示をすることも重要であるが、国民はさらに、参議院の存在理由や定数問題を、今一度根底から再検討する必要もあるのではないだろうか。


本来、参議院とは「良識の府」といわれて、国民大衆の「衆愚政治」に対する防波堤の役割を期待されていたものである。しかし、戦後六十年の歳月の間に、参議院は定年退職した天下り官僚たちや、財界企業と霞ヶ関の官僚集団、官公労働組合などの利益擁護を目的とする議員集団へと、また地方の時代の変化に即して自己改革を徹底できない農協や、政府からの交付金に依存する都道府県などの地方公共団体に頼る地域業者たちの既成利益擁護団体に変質しているのではないだろうか。


将来の国民と国家の全体の観点から、良識のある国家政策を提言できる議員集団ではなくなっている。そんな現状で、国民は参議院の存在する価値を認めることができるのだろうか。今一度、国民は参議院の国会におけるその意義と現実の機能を厳しく検証する必要があるだろう。


衆議院で命脈を失いつつある旧来の情実的民主主義の自民党既得権益集団は、まだ参議院ではその余命を保っているということである。国民は、来るべき選挙で、その選挙権を行使することによって、二十一世紀の国際社会の中で、国民よりも意識の遅れた政治家たちを退場させる必要があると思う。


その点では小沢民主党も五十歩百歩ではあると思うけれども、選挙権の行使を通じて、まずは自民党を国民政党へと更なる改革を促してから後に、民主党の改革に取り組む必要があるだろう。国民は一挙に日本の政党政治の改革を実現することはできない。時間と労力を払って、一歩一歩改革してゆくしかないからである。


政治の世界に国家国民の最高の人材が集まらないのは、日本の国家と国民にとって悲劇であることは、今も昔も変らない。というよりも、「国民はみずからの水準にふさわしい政治しかもてない」という西洋民主主義政治の命題が普遍的な真理であることを証明しているだけなのだろうか。



いずれにせよ、目指すべきは、真の民主主義と自由の精神に立脚する自由党と民主党の二大政党政治であると思う。その政党政治の実現のために国民は、教育の改革と選挙権の行使を通じて、現在の自民党や民主党の政治家たちの政治意識と政党政治の変革を促してゆく必要があると思う。


ご参考までに 


民主党の再建と政界の再編について


自由と民主政治の概念


民主党四考


民主主義と孤独 


 


by hosi111 | 2006-11-28 15:40