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暑中お見舞い申し上げます

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暑中お見舞い申し上げます


相変わらず暑い日が続きます。鈍い頭がいっそう鈍くなり、このブログの更新もさらに滞りがちになります。今年のはじめに年賀状を送りそびれるという生涯はじめての失礼をしてしまったので、例年は送ることのない暑中見舞いをお送りすることによって、お茶を濁させていただきました。


八月にはいっても、相変わらず良く晴れた暑い夏らしい日が続きます。折しもロンドンではオリンピックの熱戦が繰り広げられています。


現在のところ日本チームは金メダルが二個で、金メダルの獲得ではあまりふるいません。とくに柔道での不振が大きいようです。二十一世紀になって十余年、我が国における柔道の伝統的な遺産というものは、ほぼ食いつぶしてしまったように思われます。


ヨーロッパにはギリシャローマ以来の文化的にも科学的にも伝統的な遺産という太い幹があり、その太い幹に日本の柔道もしっかり接ぎ木されたようです。「JUDO」として、精神的にも技術的にも今後母国日本を越える大輪の花を咲かせてゆくことになるのでしょう。


これから日本の柔道が復活して行くためには、柔術などの古武道の根源につねに立ち戻るとともに、一方で、欧米の哲学・科学の伝統を日本の柔道家たちが一刻も早く自家薬籠のものとしてゆくことです。それによって「ゴリラ柔道」から脱却してゆかねばなりません。


自動車産業やかっての半導体産業のように、欧米の科学技術を日本が導入して、自国の産業として立派に開花させた経験があります。かって唱えられたことのある「和魂洋才」といった中途半端なものではなく、「洋魂洋才」に徹しなければなりません。


ここで言う「洋魂」としての「西欧の哲学と科学の伝統」は、単なる「洋魂」にとどまるものではなく、その遺産は「普遍的」なものだからです。真の「洋魂」によって「和魂」を復活再生させなければなりません。


私たちアジア人が欧米にうち勝つためには、西欧人の持つ武器を自分たちのものとして、彼ら以上に「西欧の哲学と科学の伝統」を活用する以外にはないからです。


久しぶりにというかこの間、たまたまNHKの大河ドラマ「平清盛」を見ることがありました。そのシーンのなかに、現在国宝とされる「平家納経」を主人公の清盛が厳島神社に奉納してゆく場面がありました。


確かに歌人の西行法師は平清盛とほぼ同時代人で、讃岐に崇徳院の供養に訪問しているのも歴史的な事実です。しかし、嵐の中を西行法師が清盛と同船して厳島神社に納経に訪れたどうかは、史実なのかドラマとしてのフィクションなのかどうかはわかりません。


ただ、その場面では、かって一度でも西行の和歌に感動したことなどおよそ感じられもしないような若い俳優が西行法師を演じていて、どうしても役者不足という感想をぬぐえませんでした。


芸術性、思想性、娯楽性そのいずれをとっても、過去のNHK大河ドラマ作品と比較しても高く評価はできないように思われます。NHKの担当ディレクターたちの資質能力も落ちているのではないでしょうか。国家の中枢とも言える重要な使命を持つ公共放送がこの体たらくでは、本当にゆゆしき問題です。


いわゆる保守的な立場からすれば偏向しているとされるNHKの報道姿勢は、この番組にも明白に見て取れるように思われました。もし、この大河ドラマの制作者たちが、「自分たちの隠された左向き思想」で国民を洗脳できる、と考えているのであれば、あまりにも国民を馬鹿にした傲慢な振るまいでしょう。このドラマの中にも彼らの性向は、皇室の伝統のいたずらな冒涜として象徴的に現れているように思われました。国民は黙ってこのドラマ「平清盛」をみています。


確かに戦前と比較して不敬罪そのものはなくなりましましたが、皇室をいたずらに軽率に不必要に不敬に取り扱って良いことにはならないと思います。


若き日の西行に面会した藤原頼長も保元の乱に敗れて死んでいます。謹慎のために仁和寺で出家した崇徳院の剃髪にも西行法師は立ち会っていたようです。


平清盛ら平家一門が勢力を固めるきっかけにもなったこの保元の乱に際して、西行は浮き世の転変を、次のような前詞書きとともに歌い残しています。


    世の中に大事出で来て、新院あらぬ様にならせおわしまして、御髪おろして、仁和寺  の北院おはしましけるにまゐりて、兼賢阿闍梨出であひたり。月明かくて詠みける             


1277    かかる世に  かげも変わらず  すむ月を 
         見るわが身さへ  恨めしきかな



讃岐に流されその地に没した崇徳院を供養するために西行はこの地を訪れ、草庵を結びもしています。


源頼朝も伊豆に流されるなど、貴族から武家の社会へと権力の移行するこの端境期の時代もそれなりに過酷なものであったようです。崇徳院には百人一首の中に


    瀬をはやみ岩にせかるる滝川の
       われても末にあはむとぞおもふ


という涼しげな歌があります。崇徳院の母は待賢門院藤藤原璋子であり、この美しい女性はとりわけ西行とはゆかりが深かったそうです。この女性にちなんだ和歌も多く残しています。


やがて今年も敗戦記念日を迎えます。第二次世界大戦に巡り合わせた世代は、保元平治の乱とは比較にはならない過酷な運命を辿らざるを得ませんでした。


今年も相変わらず感傷過剰の戦争の季節を迎えることになるのでしょう。そこで見られるのはテレビ業界演出の戦争懺悔のマンネリ化した番組のパレードです。残念ながらこれまでのテレビ番組で過去の戦争を相対化して徹底的に科学的に、歴史的に検証しようとした番組を見たことがありません。


        

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先日、ハッカ油に防虫効果があるのを知って、小さなボトル噴霧器と一緒にインターネットを通じて購入しました。山畑の農作業でブヨなどに少なからず悩まされていたからです。防虫ネットなどを帽子の上から被っているのですが、それでも耳先や首元、二の腕などを狙って刺してきます。


桃の木のところにたどり着いて一休みしているときに、首筋や手首、耳などにハッカ油を吹きつけ刷り込んでみました。すると折から吹き込んでくる風が鼻水が出そうなほどに涼しく感じられます。


防虫効果についてはまだよくわかりません。ただ、刺されてすぐにハッカ油を塗ると、腫れはかなり押さえられるようです。


  


by hosi111 | 2012-08-05 23:29 | 日記・紀行