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中川八洋氏の西尾幹二氏に対する批判についての感想

もともと「国家の概念」、もしくは「国家の真理」について関心を持っている関係から、数多いる現代日本の思想家、論客のなかでも、さしあたって興味の持ちうる対象としては、西尾幹二氏と中川八洋氏の二人がいる。いずれも「保守派」の論客とされる学者たちである。

私自身はヘーゲルの「法の哲学」の立場を真理と認め、それを支持している関係から、国家形態としては「立憲君主国家体制」を至高の国家形態と確信している。したがって、いわゆる「共産主義」や「共和主義」の国家体制については、そもそも基本的に私の視野に入らないということもある。

それにしても私は一介のディレッタントでしかないので、西尾幹二氏や中川八洋氏らの政治思想について専門的に批評する能力はない。中川氏や西尾氏の著作を全部買い込んで、論評する余裕など私にはないし、せいぜいインターネット上で公開されている論考によって西尾幹二氏や中川八洋氏の政治思想の概略を掴むぐらいである。そこで最近になって中川八洋氏が、西尾幹二氏の最近の評論活動に対して、とくに西尾氏の一連の『GHQ焚書図書開封』シリーズに対して「激越」といってもいいくらいの批判を展開されていることは、いわゆる「保守派」の論調に興味と関心を持っておられる方々はすでに承知されていると思う。

とくに中川氏のその批判の核心は、西尾氏が戦前の日本の国体主義者たちを擁護することによって、現在のアメリカに対する敵対関係、敵対意識を増長し、むしろその方向に日本国民を扇動しようとさえしているという中川八洋氏の基本認識が、――危機意識と言ってもいいかもしれないが、あるからだと思われる。というのも、中川八洋氏はイギリスの立憲君主制を擁護するバーク主義者で、中川氏の思想的系譜から言えば、戦前の日本の国体主義者は「亜流共産主義者」に他ならず、「自由」と「法の支配」を国是とする国家アメリカ合衆国に戦争を挑んだ全体主義者としての戦前の国体主義者への西尾氏の擁護と弁解には我慢ができなかったのかもしれない。

私も戦前の日本の国体主義者が共産主義者の亜流であり、全体主義者たちであったという彼らの本質についての中川氏の認識にはほぼ同意できるものである。しかしそれでも、中川氏に全面的に同意できないのは、中川八洋氏がアメリカをあまりにも理想化しすぎているように思うことである。

国民の自由を抑圧した日本の国体主義者が償い切れない害悪をもたらしたのが問題なら、資本主義の本場アメリカの資本家連中の貪欲と獰猛についても批判的であってしかるべきだと思う。その点ではアメリカの資本家を代弁したルーズベルトなどの政治家たちの強欲に対して、日本の国体主義者たちが反感を示したのにも三分の理はあったと言うべきだろう。一方の西尾氏には国体主義者に対する批判的な観点がなく、中川氏はアメリカを褒めすぎだ。

大東亜戦争をはじめとして、国家間の戦争はそもそも国益の追求を巡って行われるもので、善悪で両者を裁こうとするのは、悟性的な認識の特徴で、物事を一面からしか見ないで判断しようとするものである。



西尾幹二のインターネット日録

中川八洋掲示板
by hosi111 | 2015-06-11 15:20 | 国家論